1996〜2008年に公開していたウェブサイトの残骸。大部分は2000年までに書かれたメモです。時代が変わって内容が古びてしまったようなので閉鎖して保存することにしました。
今から思えばずいぶん生意気な文章を書いていたものです。
世界各地で生産されたコーヒーはそのままの形では一般向けには流通しません。商社などの輸入したコーヒー生豆はコーヒーの焙煎加工を主業務とする焙煎業者 (ロースター) の手に渡り、用途に応じた焙煎、粉砕、包装をほどこされます。それは挽き売り、RC缶、喫茶店のコーヒー、セルフ式のパック売り、立ち飲みコーヒー、インスタントコーヒー、エキスなどのすぐに利用できる形で提供されるものなのです。これは分業の利益のためにだんだんとそうなったのではなく、日本やヨーロッパに新しい習慣として紹介されたときから続いていることです。先人達はコーヒーを売るために、それが飲み物であるところから説明する必要がありました。そのため実際にカップに注がれたコーヒーを提供しなければならなかったのです。それは上出来でした。コーヒーはずっと液体や粉のすぐ飲めるコーヒーとして届けられてきたのです。だから家庭で焙煎することは消費国においては普通、考えられないことです。本物のコーヒーは自分で挽くというのが精一杯のところです。
コーヒーを飲むという習慣はほぼ定着しました。現在はその次の段階に入っています。消費者はこれまでよりも強い関心を抱いてコーヒーを考えようとしています。商品としてのコーヒーの特徴はその加工における付加価値の高さと焙煎後の新鮮さを問われるという点においてです。これまでコーヒー産業には活発な新規参入が続いて来ました。その理由は既存の業者と商品にそれだけの隙があるということです。あからさまに指摘するならば、コーヒーは十分に安価でなく十分に新鮮でもない、満足すべき品質ではないと考えている人達がたくさんいるのです。新しい参加者は流通を細く枝分かれさせ、地域や街や人に接近しました。また提供するコーヒーの原料を自店で加工するコーヒー・ショップである自家焙煎店 (マイクロ・ロースター) も増加しました。このことは消費者にとってより身近になったと同時に総体でのコーヒーに関する知識量が増大していることも意味しています。親しみやすくなったコーヒーの知識は次には消費者内部にも浸透を始めています。アマチュアとしてコーヒーの焙煎に取り組むマニアもあらわれ、そのための器具や生豆そのものの入手も簡単になりました。言ってみればコーヒーの浸透する時代です。それはまだ未成熟な時代ですが、後戻りすることはありません。コーヒーにまつわるさまざまな技術や知識は片寄り、物語めいて特定個人に結び付いたりまた独り歩きをしています。
この稿は初めて家庭の台所でコーヒーの焙煎を試してみようという趣味人達のために書かれます。ここにたどり着いた人はもうコーヒーそのものに触れてみなければ、コーヒーの実存を感じてみなければ先にはすすめない高水準のアマチュアだと思われます。そのような人達の飛び込みのきっかけにでもなれば幸いです。
蛇足となりますが、今後のコーヒー業は消費者の知識が本格的なものになるにつれて、また激しい競争に洗われて、合理的な大企業による市場の再編成に向かうでしょう。そうなればもう家庭で焙煎などという汚れる仕事をする人達もいなくなります。安心して満足のできる商品を安く市中で購入することができるようになるはずだからです。けれどもそれはずいぶん将来の話です。今はまだ自分自身の努力と楽しみのための家庭焙煎が有意義な時代と思われます。
※ 1996年頃の記述です。
コーヒーを焙煎するためには生豆* を入手しなければいけません。旬のものですから八百屋にでもあればいいのですがそうはいかないのが現実です。販路はとても限られているように見えます。
* 読み方は「なままめ」です。「きまめ」は恥ずかしい誤り。
ひとつの方法は近所の自家焙煎店に頼んで分けて貰うことです。そこでは焙煎加工を行っているのですから、生豆を仕入れして用意しています。けれども規模は小さくても製造販売業なのですから、原材料の販売は嫌がるのが普通です。私がよく耳にするケースでは店の常連客となって店に利益を落とすことが有効なようです。親切心から気軽に譲ってくれる店があると思います。まずは足を使って近所の自家焙煎店を回ってみることです。最悪の場合でも焙煎豆と同じ価格でいいと申し出てどこでも買えないということは考えられません。
相当な量のコーヒーを消費する家庭や焙煎仲間と共同購入できる場合では、数キロ単位での購入も考慮してみてください。いけるようならもっとおすすめの仕入れルートがあります。多くの焙煎屋は専門商社から麻袋 (またい、標準で60〜70キロ) 単位で仕入れをしています。ところが少ない量しか必要としていない種類の豆や少しずつしか使わないような自家焙煎店の場合には10キロくらいの単位で問屋から買っているのです。現金取り引きであれば個人でもまったく問題なく、同じような条件で売って貰えるはずです。この方法がもっともリーズナブルです。近くに名の知れたコーヒー会社の支店や営業所があれば飛び込んでみる価値は大です。ただし取り寄せの場合には時間がかかることもあり得ます。近くにないという場合には通信販売に応じてくれる会社も多いようです。
非常に少ない入手ルートとしては店頭に並べて販売している店も活用出来ます。ただそのようなところでは業者が自分では使用できないような、売れないものを素人向けに置いていることもないわけではありません。そもそも回転するような商品でもありません。よく選んでから買うように注意をしてください。
焙煎作業にかかる前に用意した生豆をチェックしてください。カビたり腐敗した豆が入っていないか、未成熟なやせたものがないか。これらは出来上がりのコーヒーの味に重大な悪影響を及ぼすことがありますので、可能なかぎりは取り除いてください。うまく判別するにはちょっとしたコツが要ります。慣れないうちには疑わしい豆はすべて捨ててください。また大型の機械ではまったく問題とならないような盲点として割れ豆やピーベリー (まるい豆) 、貝殻状に分離した豆も熱効率の悪い少量の焙煎では問題となります。むらが出やすくなるのです。これも取るべきです。このような作業をハンドピックといいます。選別の程度の良い高価な種類では現地で袋に詰める前に機械や女子労働者の手ですでにはじかれていますから、用意した豆にはもうきれいな豆しか残っていないこともあります。そのような豆を最初から選んで買うのも正しいと思います。
ブレンドを作る人はよく生豆の段階で混ぜてしまいます。出来上がった豆の無駄を無くしたり、手順を減らしたりするための混合焙煎 (ミックス焙煎) も先に書いた割れ豆やピーベリーの場合と同じく少量の焙煎ではとても難しくなります。やってみれば分かるように豆はタイプごとに必要なカロリーの与えかたがことなります。コロンビアのように固い種類の豆とモカのようにやわらかい豆とでは仕上げかたも違います。タンザニアのように強い火力を求める豆と一緒に焙煎したブラジルではきっとまばらになるでしょう。同じように見える豆でも慣れない場合には苦労することになりますし、無理に見栄えを揃ったものに仕上げようとすれば味覚や香りなどの損失ははかり知れません。すべての豆が狙ったように仕上がるような煎り止めのタイミングと焙煎方法があると主張するプロもいますが、それはブレンドする種類によっても違う結論があると思います。ブレンドを欲しい人は単品で焙煎して撹拌することをおすすめします。
生豆はきちんと計量しておきます。これは毎回の焙煎条件を揃えるためで、早くコツをつかむには必要なことです。今回使用するフライパンの場合で100グラム、手網では150グラム、そのほか道具によって加工しやすい分量は異なります。自分のやり方にあった量は試行錯誤で見つけるしかありません。毎回同じという条件を満たすだけなら、計量カップで体積ではかってもかまいません。
これで材料の準備は完了です。残った豆は普通は紙袋や麻袋に入れて通風の良いところに保管します。密閉して蒸れたり湿気の多いところに置くとダメージの原因になります。
使用する焙煎器具はここではフライパンを想定します。あれば中華鍋でもなお結構です。鉄製のなるべく厚く安定したものを使用してください。また豆を転がすためのヘラが必要です。これは変形するような素材でなければなんでもいいでしょう。竹などがいいです。作業中は豆の表面のシルバースキンが剥離して飛散します。掃除をしやすいよう周囲は片付けてください。水蒸気と排煙も多量に発生します。換気扇を強くすることが必須です。
フライパンを強火で空焼きして熱をしっかりと保たせます。空気が揺らいで見えるくらいが適当です。温まったらいよいよ豆を投入します。豆の加熱は伝播によるものですから撹拌を絶えず続けないと斑点状に焼けこげてしまいます。手でまぜきれなければ鍋を振って、とにかく動かします。
豆の投入と同時にフライパンの温度は低下します。もちろん見て分かるものではありませんので、これはイメージしてください。まもなく火によって加熱される熱と豆が吸収する熱が均衡して、フライパンの温度は一定になります。はじめにフライパンを温めるのはこのためであり、そうしないとここに至るまでに豆は無駄に熱にかけられてしまうことになるのです。初期加熱の段階では豆の水分をある程度まで少なくし、均等な焙煎を可能にすることを目的とします。トータルの焙煎時間に左右されるような味、酸味などはここで火を落として時間を取ることで弱めることもできます。
焙煎が早すぎれば、豆に十分に加熱されない部分が残ったまま、足の早い部分から焙煎が進行します。きれいに煎り上がったように見えても渋味が残っているとか、見るからに色が揃っていないとか、胚芽が焦げてしまうなどの失敗は、均一に焙煎されなかった結果なのです。火が弱すぎれば、豆の組織を破壊するような膨張を得られず、破裂にいたらないこともあります。しわが伸びず、味が弱く、芳香のないコーヒーは熱量不足の結果です。
豆を炒り続けていると、やがて豆から水蒸気が放出されます。そしてしばらくすると、豆内部で発生した水蒸気が組織を破壊して放出されます。これがはじけるとか、クラックするとか言われる現象です。(ハゼるという人もいるようです。) 豆がはじける段階では豆の水分はもうすでに少ない状態にあり、強力な火力のまま進行してしまうと、先に書いたようなムラが発生します。それではどこでどれくらい火を落とせばいいのかというのが、ひとつのポイントとなるでしょう。
はじける音の出にくい組織の柔らい豆の場合、音を聞いてから火を落としても間に合わないことがあります。そのときにはもう部分的には先に進んでしまっているから、均一な焙煎というゴールにはたどり着けないかも知れません。柔らかい豆はタイミングを覚えて事前に火を弱めるのがやりやすいでしょう。音の出やすい固い豆の場合、それほど失敗するようなことはないのですが、火を落とすのが早すぎるということはあります。
ここで怖いのは火を弱めすぎることです。焙煎の進行しないようなところまで火力を下げてしまって豆を無駄に痛めてしまうことです。抽出率の高いコーヒー、よく香りの出るコーヒー、コーヒーらしい味のコーヒーを作り出すのが、ここからの短い時間です。しっかりと組織を膨張させつつ、豆に熱を吸収させ、しかも足並みを揃えるということを念頭に置きます。豆が火を欲しがるときは火を与え、火や煙を嫌がるときは火を下げるのが焙煎という工程です。
はじけた後の豆を炒り続けていきます。だんだん色が褐色化して、表面のしわが目立つようになります。しわが伸びてますます黒くなり、徐々に膨張をします。
十分にふくらんだと思ったら、いつでもストップしてかまいません。どこまで進行させるかで浅煎り、深煎りと出来上がりが変わります。焙煎終了を決定したらただちに豆をザルなどに移し、ドライヤーや扇風機の送風、少量の水のスプレーなどで冷却します。なるべく迅速に行うことが肝心です。さもなければ組織が緩んだままの豆はせっかく膨らんでいてもまた収縮してしまいます。また焙煎が進行し続けることで、やはり味にも影響が発生します。酸敗の進みやすい高温状態を無駄に長くしてしまうことで日持ちも悪くなります。
焙煎を続けると、やがて2回目のクラックが起こります。最初とは違う小さな音です。これはもちろん水蒸気ではなく、他の別の物質が組織を破壊しているのです。この音が焙煎度を決定するひとつの目安となります。
今回はフライパンを想定しましたが、どんな器具を用いた場合にも手順は同じです。手網 (把手のついた鉄網の容器、銀杏煎り) でも焙烙でも専用の他の道具でも同様です。ただしそれぞれの道具によって熱のかけかたは異なってきます。あまり蓄熱できない網などではその分、火力を抑えることが出来ません。最初から強めの火を必要としますし、途中で落とすことも難しい。豆が目に見えない器具では焙煎のイメージが固まっていなければコントロールしきれません。* すべてメカニズムとセオリーは共通、加熱による成分の変化と乾燥を均質かつ短時間に行うのです。ただインターフェースがことなってくるのです。
* 器具に温度計を取り付け出来れば便利になります。
豆がむき出しではなく閉じ込めることができる道具のときにはもっと細かに調整することが出来ます。初期加熱の段階で水分とともに失われる成分を閉じ込めたり、はじける直前までの排煙を抑えぎみにしてストロングにしたりします。これらの操作を行う場合にもはじけ始めてから冷却完了までの煙は豆にかぶせないように注意をしてください。豆が燻されてしまいます。(これをディルローストといいます。)
うまく膨張しない豆のときはダブルローストという手法で逃げることが出来ます。焙煎の初期と終了前の安定した状態で焙煎を中断して冷却してしまいます。目的は水分抜きの段階を二度行うことで豆を揃えることであったり、一度膨らんだ豆の再膨張を狙ったりなどです。いずれのときも豆を余計に長く火にさらす方法になりますので、ある程度の損失は覚悟のうえで行います。これは本来、焙煎の基本であるクイックローストに反することなのです。不測の事態で焙煎を中断しなければいけないときも結果としてはダブルローストになります。慌てることなく冷却をただちに実行することが大切です。
焙煎中は大量のチャフ (剥離したシルバースキン) が発生します。着火の危険のないように注意してください。小型の卓上掃除機があればベストです。
焙煎直後のコーヒーはうまく抽出できないということも理解しておいてください。焙煎後に発生するガスは豆の組織内にもたくわえられ、ドリップにおいて重要な泡の発生を左右します。味を確認するためにはボイルなどの抽出方法が適していますが、変化を予測するためには経験が必要です。
楽しんでください。
焙煎度合いを表現する語彙はいろいろあるがしっかりした規格があるわけではない。それはあくまで目安でしかない。
さまざまな国での飲用スタイルに基づくパッケージの分類表現。ただし実際にそれらの地名の地域で該当するようなローストが好まれているかどうかは別問題。なぜなら飲用習慣が変化することは多いからだ。
これらの語彙の流入がいつのことかは分からない。コーヒー焙煎業が発達した昭和初期のことか戦後復興期のことか。ただ日本どこでもみな同じであるということであり、そのルーツは限られている。現在のアメリカ式表現との差異が認められるとしてもそれは間違っていることにはならない。何しろ決まった基準はどこにもなく 方言すら見出せる分野なのだから、そのひとつのバリエーションと考えてかまわない。ただしこれが唯一の表現で世界共通なのだという認識があるなら改めておいたほうがいい。
焙煎はコーヒーを飲用するために不可欠な加工である。それは単純にいうならコーヒー生豆を加熱調理する工程であるが、細部を検討すれば複雑きわまりない理化学的反応のパレードだ。水分は蒸発し、糖はカラメル化し、クロロゲン酸類は加水分解する。褐色化反応もあれば、不明な成分が不明なままで揮発してしまったりもする。組織は膨張し、破裂もする。それらをあまりこまごまと書くつもりはないが、大切なことは一連の過程が豆の全部に渡って過不足なく行われなければならないということだ。
全部に渡って過不足なくということを言い換えれば、均一かつ適度にだ。焙煎豆のある部分が摂氏 195 度に達しなかったならアロマが未発達になる。渋く青臭い味が出る。また 245 度を越えてしまったならアロマは焼け抜け、焦げ臭い味が生まれる。コーヒー豆は全体が均一な温度にまで加熱されなければならないし、すくなくともこの範囲から外れる部分があってはいけない。
さらに考えてみよう。焙煎でもっとも多くのカロリーを要する反応が水分の蒸発だ。無理な加熱によって枯れ具合にむらが出れば、ほかの反応の進行が著しく揃わなくなる。だから加熱に無理があってはいけない。
生豆に含まれる水分はおよそ 12〜13% ほど。これが焙煎されることで 2〜3% になる。だがしかし実際に失われる重量 (シュリンケージ) は 16% にもなるのだ。すなわち水以外の何かが失われてしまっている。じっくりと焼き上げられたコーヒーに豊かな味はない。それら損失成分を惜しむならば、加熱は悠長であってもいけない。
そしてさらに組織が膨らむことも考えてみる。膨張率は抽出効率に影響を及ぼす。膨らむのは豆内部の加圧があるためだから、特に膨張局面においてはカロリーの不足があってはいけない。クイックローストが基本だ。
このように焙煎というのは単純でもあり、やっかいな難題でもある。うまく行うためにはその過程を理解することが不可欠で、どんな機械を与えられてもある程度の熟練は必要となるものだ。それでも装置によって要求される熟練度はことなるものであり、目的に適した焙煎装置を正しく操作することから学びたい。
スタンダードな焙煎機の外見は一様に円筒形のドラムを横に寝かせた形をしている。ドラムを回転することで豆を撹拌し、一端を開放することですみやかに排出する。100年以上前に確立しているこの構造が現在でも主流であるのは稼働部分が少なくシンプルであるという良い機械の条件を満たしているからだろう。18世紀に工業的なコーヒー焙煎が広がった当時は人力による運転でありドラムはまるごと火にかけられた。まもなく蒸気さらに電力を使用した動力化装置となるもののその間構造の変化はほとんどなかった。これを現在では直火式焙煎機と呼ぶが、それはその加熱方式による呼称である。豆は加熱されたドラムとの接触、暖められた周囲の空気からの加熱によって焙煎される。
19世紀末の革新においてファンやエアーポンプによる熱風のドラム内導入が取り入れられた。また 1934年に Jabez Burns 社が開発した装置はドラム自体を加熱することを廃止して熱風だけによる焙煎を可能にした。これらを熱風式焙煎機と呼ぶ。
※前者を区別して半直火式または半熱風式焙煎機と呼ぶこともある。
熱風による加熱はより均一に焙煎を行うことを可能にし焙煎時間の短縮にも効果的な方法だ。断熱ドラム採用後の装置では一部の豆が焼け焦げることもほとんどなくなった。これら利点により熱風式焙煎機は 40年代には一気に従来型の直火式焙煎機を置き換えた。
工業用焙煎機はほとんどすべて熱風式焙煎機となった。今でも直火式焙煎機を用いるのは機械として単純でコンパクト化しやすく比較的安価であるからで、店頭向け超小型ロースターやサンプルロースターでの利用にとどまる。手作業や職人気質の賛美から直火式焙煎機のほうが優れているなどという風潮も一部あるようだが、それは加工の効率よりイメージを優先するナンセンスであり、機械の構造を理解しない意見でもある。

初期の熱風式焙煎機は直火式焙煎機をたんに継承するにすぎないものだった。やがて設備が大型化するにつれて燃費の問題が出てくる。ドラム内をただ一度通過するためだけに空気を 250度に加熱するのはとんでもない無駄だ。そこで熱風を再利用する仕組みが考案された。排出された熱風をバーナーに戻し再加熱する、つまり同じ空気を何度も循環させるのだ。そうすれば燃料を節約し熱源ユニットを過度に大型化しなくてすむのではないか。
まず空気の入れ換えはバーナーを燃焼させる分だけでいい。排気が減少するということは排気を処理するための周辺設備、サイクロン集塵機や触媒装置、アフターバーナー (再燃焼装置) もまた簡略なもので足りるようになるということである。何しろ循環空気を再加熱させる当たり前の経路で排気は自然と再燃焼されるのだから。それら設備の重すぎる足枷を減ずることなしには現代の超大型焙煎機を作ることは困難だっただろう。
また入排気を管理することは室内環境全体の管理に技術的につながるものだ。焙煎の化学反応とバーナーの燃焼に不必要な余分な酸素を遮断することが理想的には可能になる。理屈の上では炒り上がり直後の豆内部と豆周囲の酸素濃度は低く抑えられ、その後の品質保持努力を助けるものとなるだろう。そしてチャンバー内の気圧を高められれば熱風の熱ポテンシャルが比例的に高められる。倍の気圧に圧縮された空気は同じ温度と体積で倍の熱量を保ち、効率良く豆を加熱することが出来る。だがこれら新技術はいずれもまだ標準的な技術となっているものではない。各メーカーが競って開発している途上の技術だ。
焙煎機に併設された冷却機は熱風式焙煎機とほぼ同時に誕生した。本体機能のファンをそのまま流用するものであったからである。装置の有用性が認められるやこれはすみやかに普及し、また独自のブロアーを内蔵して焙煎機本体の連続作業を妨げることはなくなった。
装置の有用性とはこの場合、作業時間を短縮し効率化するにすぎないものだったが、実のところ冷却の効果は焙煎豆品質の向上にこそあるという認識がその後進んだ。加熱を続けなくても十分に高温なコーヒー豆の焙煎は進む。だからこれはなるべく短時間に冷却し焙煎の固定を行わなくてはならない。そして組織が破壊されたコーヒーは二酸化炭素排出とともに酸素吸収を加速させる。酸敗反応の進行の大きい高温状態を続けることに利点はない。
そこで単純な空冷だけでなく若干の水をスプレー散布する方式 (water quench) が近年開発され多くの焙煎機メーカーが採用している。送り込む空気を冷却することもある。
焙煎機、冷却機、粉砕・包装が完全にライン化された近代工場では冷却機は密閉されて異物の混入機会をなくすようになっている。また高度な水冷装置では外部空気の取り込みをいっさい廃止して、冷却を含む全工程での無酸素化を達成してきている。
熱風による加熱調理はコーヒー焙煎機にだけ利用される技術ではない。汎用厨房器具としてコンベクション・オーブン (convection oven) と呼ばれる設備が古くから存在するが、これは文字通り熱風を対流させて対象物を加熱するものだ。熱風焙煎機のほうこそ、このオーブンの一種であると言えるくらいである。
コンベクション・オーブンにはいくつかのタイプがあるがそのすべてはバッチ処理を行う固定式と連続的に処理する搬送式とに大別される。搬送式の装置では高温の空気が強制対流するトンネル内を素材がベルトコンベアにて通過させられる仕組みになっており、任意の数量の素材を途切れることなく同一条件で加工することが出来る。
搬送式のコンベクション・オーブンをコーヒー焙煎に応用したものが初期の連続焙煎機である。ただし豆はやはり皿に盛った肉とは勝手が違う。コーヒー専用機として搬送にはベルトコンベアではなくスクリューコンベアが採用されていた。

焙煎機の経済性、加工品質の安定化を求めるのに連続焙煎だけがその唯一の方法ではない。バッチにはバッチの利点が存在するのであるから、これを大型化かつ高速化すればすむという結論もあるだろう。この考えを進めるうえで障害となるのが機械的な構造の限度というものである。これまでのドラム型の撹拌装置は強度や設備効率の問題からせいぜい 240Kg 未満の容量しか扱えなかった。これを越える新しい焙煎機には新しい発想がある。
たとえば先に示した Rapido NOVA の撹拌装置はバケット・ホイールという。これなどは従来型を非常に強力にするもので 300Kg を越える量を完全に撹拌する能力がある。
また圧縮空気搬送技術の進歩から大量のコーヒー豆を流体的に扱うことが可能になり、焙煎熱風が撹拌の役目を果たすようにもなった。NEUHAUS NEOTEC の機械では円筒内部を円周に沿って豆が流れる。PROBAT の Type RZ は 遠心撹拌式 (centrifugal force mixing principle) といい、中央の熱風噴出と装置回転の力を用いて豆を還流させる。これらの装置でも 300Kg 以上を扱えるし、焙煎時間も最短 5 分に短縮される。理論的にはトン単位の容量のものも制作可能だ。
大型焙煎機の利点は容量の大きさだけではない。加熱効率からして格段の向上をもたらす理由がある。豆が発する輻射熱の利用である。
熱は高温に熱せられた装置との接触で伝播する。また強制あるいは自然対流する空気から伝わる。そしてそれら以上に重要で無視し得ないのが輻射による加熱だ。輻射熱は他の方法に比べようもなく豆の表面全体を均一かつ直接に加熱するものである。
輻射熱源は赤外線ヒーターのような特別なものもあるにはあるが、実は設備本体や豆そのものが発する部分がとても大きい。設備が大型化し容積が増大すればそのことだけで加熱における輻射の役割は増大する。だから大型焙煎機を使用した加工では商品としての安定度は高められる傾向があり歩留まりにも貢献する。

70 年代日本で生まれ注目された炭火焙煎機は熱源に炭を用いる直火式または熱風式の改造焙煎機で、比較的に単純で小型である。
炭は燃料として非常に古いもので、社会が化石燃料を中心に利用するようになってずいぶん経過した今日になって再注目された素材だ。炭火は燃焼時に炭素励起をともない強烈な熱輻射を行う。またガスや電気では困難な非常な高熱を得ることが可能でもある。そのため肉や魚をおいしく焼ける燃料であるとされている。他の燃料よりも自然の産物という印象が強かったこともあるだろう。もっとも天然ガスだって天然素材なわけだが。
焙煎機の構造上、炭が発する遠赤外線はコーヒー豆には届かない。実のところ加熱方式は炭以外の熱源を使用した場合と同じなのである。むしろ燃焼を管理しにくい点で加工条件が不安定となりやすく商品の質は落ちるものだ。しかし宣伝の口上はともかくとして炭火焙煎機が狙ったのは炭の持つ特殊燃料の利点ではなく高級感だった。炭を使えば扱いは難しくて燃費が高い。品質が向上するわけでもない。しかしそんなことは承知の上で高く売れる高級な商品イメージを生み出す装置としてはじめから開発されたものだ。
炭焼きを称する焙煎豆は一様に深い焙煎度で作られているが、けっして普通に焙煎出来ないことはない。炭のイメージを強くするためには炭のように黒くすることが妥当な選択なのだろう。
ところで、これまでに見た小型焙煎機のうちで非常によく出来ていると感心したのが、日野さんという方の作った炭火焙煎機。
炭しか使える熱源がない環境にいたから炭を使わざるを得なかったらしいが、そのための工夫が好結果につながった。炭だからうまいのではなくて、炭を使うためにした工夫がすばらしかった。
この焙煎機、高温の炭をたくさん室内で使うもんだから、耐熱をしっかりしないと命が危険にさらされた。だから四方を耐熱レンガでびしっと固めたんですね。ご存知のように耐熱レンガは丈夫なだけでなく、熱伝導が小さい。熱を囲い込んで逃がさないから安全確保にうってつけなのです。
熱伝導が低い特性を買われて採用されたレンガのほうは、吸収しきれない熱を伝播して逃がせないものだから、がんがん輻射して逃がそうとする。そんなわけで、不安定な熱源である炭火の熱は閉じ込められて、豆はほとんど輻射熱だけでしっかり焼かれることになったのです。これぞ怪我の功名。炭火の成果。
これがさらに進化したものがインピンジメントシステム (Inpingement system) であり、コーヒーに利用したものが STARBUCKS の焙煎機として名を知られた Jet Roaster である。
空気中の物体とその周囲の温度の変化は一方が熱を奪われ他方が熱を得るなどというように単純に分けて考えられるものではない。物体の温度変化が対流に影響し、さらに物体の熱分布に影響するような複雑な全体をひとつの系として捉えねばならないものである。現象としてはまるで物体が薄い空気の断熱膜をまとっているかのように振る舞う。実際にそのような膜が存在するのではなく、それを仮定的に存在するものとして扱えば理論と実際がよりよく整合するということだ。新技術はこの断熱膜を高温高圧の空気で吹き飛ばし、対象物を直接に加熱するというものだ。
コーヒー焙煎用の設備では振動板による搬送を採用している。この装置を用いた焙煎では豆の可溶成分保存と組織膨張の効果はこれまでになく大きい。だからこれは高収率 (hi yield, super yield) 焙煎であるともいう。焙煎時間も最短 3分という驚異的効率を誇るものである。
これに匹敵する高効率の方法としてはスチームを用いる方法があるが、まだコーヒー焙煎に関しては実用化していない。(調理用のスチコンみたいなものなら作れるているが、連続焙煎と組み合わせてパフォーマンスを上げるのはなかなか難しい。)

コーヒーのアロマが加熱で生まれるには 200 度の温度が必要なようだ。これは経験的なものだから別の数字を挙げる方もあるかも知れない。下限ぎりぎりの浅煎りの焙煎を行うときあまりに均質な加工を実現してしまうと、ロット全体がこの線に届かずにアロマ不足となることがある。これは熱風で焙煎する場合に顕著であり、直火の機械で加工するとこれがあまり問題にならなくなる。焙煎が不均質でロット内での焙煎度分布に広がりがあるため、ぎりぎりの温度しか達成していなくても部分的にクリアしているようなことになるためだ。
反対に 230 度以上の高温では焼け焦げたような強烈な苦味が発生する。直火の焙煎機で深煎りをやると注意深いコントロールをしてやらないと、部分的にこの温度に突入してしまう。熱風で焙煎するとこうした管理が非常に容易であるので、かなりの温度まで豆を暴れさせずに持っていける。
通常の焙煎においてもこうした点が興味ある結果を見せてくれる。むかしから直火の焙煎機で加工したほうが豆の味に深みがある、奥行きがあると言われている。それはようするに炒りムラがあるということの結果なのだ。焙煎度の微妙にことなる豆をブレンドするのと同じ結果が普通の加工工程で生まれてくることがある。それが思わぬ新鮮味や香ばしさとしてあらわれることがある。
品質があまりに不均質な加工品を商品と呼ぶのにぼくは強い抵抗感がある。そのような製品を生み出す直火の焙煎機をぼくは決して認めないし歴史の遺物であると見做している。しかし逆に熱風であっさり焼いてしまうと味気ない、直火できちんと焼き上げたコーヒーがすばらしいと賛美する意見も理解することができる。
ドトールが直火式の大型焙煎機という前代未聞の装置を設置した当時、これはとんでもない愚だと思われた。実際それから何年かはとんでもなく不味いコーヒーに当たることが多かった。非常においしいコーヒーに当たることもあった。メーカーはそのようなばらつきを許容すべきでないから、品質管理の能力すら疑った。最近では機械の運転データが十分に揃ってきたのか、だんだんと均質化されているような印象がある。それでもたまに欠陥品を飲まされるから安心できない。

焙煎されたコーヒーの抽出のために粉砕工程がある。その目的は焙煎豆の表面積を増大させることにより、抽出効率を高めることである。しかし抽出工程はただやみくもにコーヒー成分を引きだせば良いわけではもちろんなく、良好な成分はより多く取りだされ、そうでない成分はなるべく豆組織内に保存されることが望ましい。また飲用に適した濃度というものもある。それぞれの抽出方法 (ドリップ、サイフォン、エスプレッソなど) にはそのために工夫された器具があり、また器具に適した粉の使用を前提している。つまり粉砕は抽出器具を前にして、道具によって要求されるようなコーヒー粉を作り出す工程である。
粉砕装置 (mill, grinder) に求められる性能はまず均一なコーヒー抽出のために均一なコーヒー粉を得ることである。次に熱と微粉の発生が極少であること。熱はおもに回転する歯と豆の衝突により発生するものだが、高速に回転するミルでは衝突時の表面温度は瞬間的に鉄の融点を越えることもあるほど。またこのとき同時に微細な豆の破片がこぼれ落ちるのだ。高熱にさらされることに由来するコーヒー豆の品質への影響は、劣化進行の促進および粉砕後の劣化進行速度の増加ということになる。影響の大部分は後者のものだから粉砕後に時間をあまり経ずに抽出が行われるときにはあまり神経質になることはない。つまり挽き立てを供するのであれば熱は無視してもかまわない。挽いて時間経過することが見込まれるのなら、これはとても重要な性能の要素となる。微粉の存在は即座に過剰抽出として味の破壊につながってくるだろうから少ないに越したことはない。
熱発生の抑制のためには豆を叩くよりもこすること、こするよりも切ること、切るよりも割ることが望ましい力のかけかただ。そのために各装置のメーカーの試行錯誤は複雑な歯の形状をさまざまに生み出している。そしてさらに積極的な熱発生の抑制策として歯の空冷、水冷による冷却機能が実装されている製品も存在している。微粉の発生を防げないこととして、その除去装置を内蔵またはオプションとする装置もある。
グラインド歯 (grain mill) はメッシュがなかなか揃わない。反面、摩耗しても極端に性能劣化することがない。カッティング歯 (burr grinder) は相対的な熱発生が少ないこと、メッシュを揃えやすいことが特徴であるが、安価な機械では加工精度が低いためその利点は得られない。そして微粉発生は多くなる傾向にあり、摩耗により急激な性能劣化が引き起こされることがある。いずれも機械である以上は適切なメンテナンスを要求するものであり、正しく使うことが品質安定の必須条件となる。
これは仕組みとしてはもっともプリミティブな装置であって大部分はすり潰し (グラインド) 機構を採っている。新しい製品ではカッティング歯のものもあり豆を切り刻む機構になっているが、このレベルのミルではその結果は大差ない。歯の材質は鉄やアルミ、亜鉛などの合金でありダイキャスト成型されている。単純で壊れにくい反面、粒度は揃わない。最大の特徴は回転速度がきわめて遅く、熱を持たず歯の摩耗も少ないという点だ。最新の製品にはセラミック歯のものもある。これも特徴は従来のものと変わらない。ただし粒度はすこしはましな程度に揃うし摩滅もさらに少ないようだ。とにかく価格の安いことが利点であって、家庭用に使うにはこのタイプで十分と思う。中細 〜 粗挽きに使える。
電動のものとしてはいちばん単純な形態。鉢の中に豆を入れ、そこで金属板が高速回転するだけの機構。粒子の細かさは豆の量と回転時間だけで調整する。大きな熱と大量の微粉を発生する。モーター以外に壊れる部分がなく場所を取らないという利点はある。極細挽きにも挽けることからエスプレッソミルの代用となることは評価できる。極細〜 粗挽きに使える。
※ 小型のミキサー、フードプロセッサーとして使うことも可能なので持っていて損はない。私もペッパー類、バニラの粉砕に使用することがある。エスプレッソ用に使う場合は粒子が細かすぎることになりやすいので要注意。
業務用とされるミルで本体がミシンのような腕を出した外観あるいはボックス形をしている。設置に安定感があり使い勝手も良い。歯は円盤状 (disc) で対になっているタイプが大半。旧式で安価なタイプはダイキャスト成型のグラインド歯だが、最近のものはほとんどすべてカッティング式となっている。これは超高硬度の歯の材料の削り出し加工技術が普及したことによる。古いものでもヨーロッパ製の高級機はカット歯である。セラミックなど新素材の採用も見られる。加工精度や耐久性は千差万別なので機種選定には用途を考慮したい。細 〜 粗挽きに使える。機種によっては極細や極粗にも対応するものがある。
エスプレッソマシンでの抽出に必要な均一で極細挽きのコーヒー粉を得るための専用ミル。小型で高精度のカッティングミル。粉のストック、一定量の粉の取り出し、粉の押し硬め (タンピング) のための装置 (プッシャー) など周辺機能を備える機種も多い。全自動エスプレッソマシンに内蔵される粉砕装置は同様のものである。極細挽きにしか使用できない。
グラニュレーターとは工業用粉砕装置の総称。加工対象により最適とされる装置の仕組みと機能は変わる。砂糖、プラスチック、岩石の加工用グラニュレーターというのもあって、どれもまるで違った機械のことを指している。コーヒー用グラニュレーターといえば棒状の歯が対になった装置。歯 (ロールバーカッター) は網またはスクリュー状で互いに逆回転する。その隙に投入された豆がこのカッターで挽き割られる仕組み。歯は通常数対が内蔵される。歯数が少数の機種にはコンパクトなボックス型もあるが、たいていは大型設備である。粉砕熱はほとんど発生しない。メッシュはきわめて均一。歯の耐久力も高い。悪い点が見出せないのだが、あえて欠点を挙げるとすれば、この種類の装置はとても高価なことである。あらゆる粒度の均一なコーヒー粉を得られる。
もともとコーヒーは煮出すか浸すかするものだった。これがだんだんとドリップに置き変わるのが 18 世紀。パーコレーターやサイフォンやエスプレッソの原型は 19 世紀、あらゆる技術の爆発的進化の時代にあれこれ工夫されて生まれた。20 世紀にペーパードリップが開発されたように、これらの器具は時代とともに改良が重ねられ、現代でもまだその子孫が生きている。あるものは盛んであるし、あるものはひっそりと残されている。すでに絶滅した知られざる器具類もその痕跡をどこかにとどめているかも知れない。
イタリアはバールとエスプレッソの国と思われている。それは正しいのだが、そうなったのはつい最近のことだ。もともとはフランスやその他のヨーロッパ諸国と同様にカフェの文化圏だった。カフェのコーヒーはドリップかボイルが相場だ。状況が変化したのは 20 世紀初頭。ボイラーを内蔵したカウンタートップ型のエスプレッソマシンが発明されてからのことだった。何杯でもその場で抽出できるこの画期的マシンはその能力にふさわしいバールという業態を作り出した。バールが街にあふれ、エスプレッソに親しんだ市民が今度は旧式なストーブにのせる器具を思い出して家庭内に持ち込むようになった。こうしてイタリアは一夜にしてエスプレッソの国になってしまったというわけだ。エスプレッソコーヒーを作る機械がエスプレッソマシンなのではなく、エスプレッソマシンがエスプレッソコーヒーを作るのが真実。これを取り違えてしまうことを歴史的経緯の忘却とかパラダイムの転換という。
| 1 | ボリビア | 2 | ブラジル | 3 | コロンビア |
|---|---|---|---|---|---|
| 4 | ザイール | 5 | コスタリカ | 6 | キューバ |
| 7 | ドミニカ | 8 | エクアドル | 9 | エルサルバドル |
| 10 | エチオピア | 11 | ガテマラ | 12 | ハイチ |
| 13 | ホンジュラス | 14 | インド | 15 | インドネシア |
| 16 | メキシコ | 17 | ニカラグア | 18 | ナイジェリア |
| 19 | カメルーン | 20 | 中央アフリカ | 21 | コンゴ |
| 22 | ベナン | 23 | ガボン | 24 | アイボリーコースト |
| 25 | マダガスカル | 26 | トーゴ | 27 | ブルンジ |
| 28 | ルワンダ | 29 | パナマ | 30 | ペルー |
| 31 | ポルトガル | 32 | シェラレオーネ | 33 | タンザニア |
| 34 | トリニダットトバコ | 35 | ウガンダ | 36 | ベネズエラ |
| 37 | ケニア | 38 | ガーナ | 39 | ジンバブエ |
| 51 | オーストラリア | 52 | オーストリア | 53 | ベルギー・ルクセンブルグ |
| 54 | カナダ | 56 | デンマーク | 57 | 西ドイツ |
| 58 | フランス | 59 | イタリア | 60 | 日本 |
| 61 | オランダ | 62 | ノルウェー | 63 | スペイン |
| 64 | スウェーデン | 65 | スイス | 68 | イギリス |
| 69 | アメリカ (脱会国) | 71 | フィンランド | 83 | スリランカ |
| 86 | キプロス | 92 | ギニア | 98 | アイルランド |
| 100 | ジャマイカ | 107 | リベリア | 109 | マラウィ |
| 122 | パラグアイ | 123 | フィリピン | 132 | シンガポール |
| 140 | タイランド | 148 | ユーゴスラビア | 149 | ザンビア |
| 158 | アンゴラ | 166 | パプアニューギニア | 167 | 赤道ガーナ |
| 236 | フィジー |
コーヒーはアカネ科のコフィア(コーヒーノキ) 属の常緑樹で、この種子を加工することで得られる飲料のことをいう。加工は精製、焙煎、粉砕、抽出などと多段階の工程を必要とする。独特の芳香と複雑な味覚が魅力であるとされている。
コーヒーの生豆の成分は水分、油脂、蛋白、炭水化物、灰分、不揮性酸、アルカロイドとされるが、化学物質の名称を並べればその種類は数百にも及ぶ。さらにそのうちの10%程度はいまだ不明の成分である。焙煎での変化はさらに複雑に絡み合っていて、完全に把握することはますます困難になっている。もちろんすべての成分がコーヒーの芳香や味覚の原因であるわけではないだろうが、コーヒーの人工的な合成はまず不可能だという。
コーヒーはアルカロイド含有植物のひとつとして知られる。アルカロイドは「植物に生成し、窒素を持つ、塩基性(つまりアルカリ) の物質」の総称であり、コーヒーには特にカフェイン、テオブロミン、トリゴネリンが含まれている。アルカロイド植物としては同じアカネ科のアカネソウ、キナ、クチナシ、他の科でもカカオやマテ、茶、タバコなどのよく知られたものがある。アルカロイド類は構造的にいくつかの型に分類され、また多くのバリエーションを持っている。そのほとんどが味覚的には苦味であるようだ。アルカロイドの植物体の内部での生成と活動はまだあまり研究が進んでいないが、おそらくはほとんど代謝にかかわらないで塩として存在しているものと考えられている。もしこれらが自分自身の維持にとっては無益であるような物質だというのなら、その存在理由は進化学的には環境(摂取する動物)にたいして何らかの変化(生理的異常)をもたらすためという解釈が有力であろう。
例えばカフェインは神経系の伝達物質に類似した組成をしていることで興奮作用を示す。このようにしてこれらの植物は食べられないよう防衛するのだし、このようなものを毒という。またこれを苦いと感じるのは食べる側の防衛手段である(カフェインはコーヒーの苦味の主成分である)。刺激性のものを野性の動物がすすんで食べることはまず考えられない。人間の幼児にも苦味を与えると顔をしかめるという。非アルカロイドでもコーヒーに含まれるクロロゲン酸類(タンニン酸など)は胃液の分泌を過剰にする作用を持っていて、味はやはり苦い。これも同様の理由で発達したものとされている。こんな物質は数多くあって、植物に見つかることは少なくない。(植物にはこんな受動的な攻撃手段しかないのだから。)
しかし人間はこれまでこうした作用を管理して、利用することを学んできた。精製されたカフェインを多量に服用すればたしかに危険だが、適当にコーヒーを楽しむ限りではその生理作用は利用も可能である。そもそも一般に毒と薬とはこうして区別されてきたのだ。薬であれば苦かろうが辛かろうが、味はもとより口に入れることの妨げにはなりにくい。コーヒーもやはりこのようにして有用なものの列に選ばれて加えられたのである。
つまりコーヒーの価値はあるときを境に変化した。こうした転倒は個人史においても文化面においても起こり得るものなのだ。また両者は互いにフィードバックする。コーヒーについていうならこうである。苦みや渋味、酸味といった知覚的要因は本来的に負の要因であるが、美味か不美味かという判断の基礎は多くは個人的(社会的)な経験に由来する。もともとその刺激的な味覚のために見捨てられていたコーヒーはある動機のために薬としての利用が発見された。つまりコーヒーの覚醒作用が利用されはじめたのである。またあるとき種子の焙煎と抽出、さらには粉砕という特殊な加工の方法が発見されて、味覚的な負の要因が減少した。そしてそれはたかだか500年ほどで世界中に拡散した。習慣とすることで社会的な強制力が生まれたのである。商人がその強制力を高めた。コーヒーは無害であるのみならず、効能も確かであると宣伝された。恐れずに飲めば、それは美味かもしれない。薬効があると思うならそれは実際以上に効くだろう。何よりも習慣は広がるにつれてより広がりやすくなるものなのだ。(つまり自家触媒作用として。流行なんてこんなものだ。)
このようなコーヒーのパラダイムはいつでもあやういバランスで成り立ってきた。わけの分からない新しい飲み物であればなおさらのこと、副作用が宣伝されたり、禁止されたりした。それでも飲まれ続けてきたのは偶然にすぎない。それともコーヒーが席巻したこの世の中がコーヒーを必要とするような世の中だったのかもしれない。そのまったく複雑としかいいようのないヒストリーの延長に暮らす我々にとっては、コーヒーはやはり多様なものとしか捉えることはできないのである。闘争の結末がどう転がるかわからない。コーヒーが現在のような存在を許されない時代がくることもありえないとは、現在のところは誰にも断言できないのだ。
コフィア属の植物のプロトタイプの出現はすくなくとも3,500万年以前、中央アフリカのビクトリア湖北西地域と考えられている。現在では約40種に分化していて、分布もアフリカ大陸赤道域の全体に広がっている。アラビア半島のイエメン、マダガスカルへは大陸からの分離前に拡散したらしい。※
※もっとも栽培植物としては苗木の移植後に進展を見ている。商品として現在作られているコーヒーの遺伝的故郷はそれぞれエチオピアとブラジルである。
当然ながら、コーヒーの成育条件は原産地の自然条件に近い。年間の平均気温が15〜30℃(最適20℃)、年間降雨量が1,500〜1,600ミリであり、いずれも年間を通じて平均的で、年ごとの格差も少ないほうがよい。土壌は必要な栄養を豊富に含んだ火山性の土地が最適とされる。斜面であればなおよい。このような条件を満たす土地であればどこでも栽培は可能である。この楽園のような気候条件は実際には南北の回帰線(23°27′)に挟まれた熱帯の高原部に一致していて、多くの部分で産業化している。これをコーヒー・ベルト、またはコーヒー・ゾーンとも呼ぶ。
増殖はパーチメントを種子に用いるのが普通であるが、以前は挿し芽や挿し木がほとんどだったという。カルス(フラスコ苗)を使用するクローニングや接ぎ木(ハイブリッドの増殖の場合)などの方法もだんだん重要となっている。
ビニール・ポットに捲種して40〜60日で発芽、さらに50日で本葉を付ける。発芽後4〜7か月で50センチ前後の苗木となり、定植をする。株間の距離は種や品種、斜面地などでの日照条件、収穫方法、再生方法により、あらかじめ決定される。1ヘクタール当たりのおよその成木数はアラビカで3,000本程度、ロブスタで2,000本以上である。開花と結実は定植の3年後となる。育成には十分な日照が必要ではあるが、根を痛めないためには地温を上げないことも大切である。そのため周辺にバナナやソルガム、マンゴー、サトウキビなど、あるいは他の適した種類のシェイド・ツリーを植えて、日陰をつくる。これは特に低地ではどうしても必要だが、バリエダ・コロンビアなどの新しい品種では葉が密生することでシェイド・ツリーを不要とするものもある(セルフ・シェイディングという)。シェイド・ツリーにも剪定などの管理は要求されるから手間は大きい。また同じく地温を降下させるために根の周囲を枯草やコーヒーの果肉(精製時に種子より除去される)、木葉で覆うこと(マルチング)が行われるが、これには乾燥防止、雑草や病害虫の抑制、施効果もある。さらに剪定により樹形を整えて(枝葉を増やし、樹高を抑える)、灌水肥、除草、害虫駆除の諸管理を行う。
コーヒーは自花受粉で結実し、木が1本でも果実はできる。花は白くてクチナシに似ていて、ジャスミンのような香りがほのかにする。開花の時期は土地により異なり収穫時期は一様に開花の6〜9か月後となる。輸出時期と船積みの期間、日本への入港時期などはまちまちであるので、これは個別に把握するしかない。開花期の過剰の雨は受粉に悪い影響を及ぼすものとされている。
5年目より収穫は安定する。ただしカトゥアイなどの3年目から安定的な収穫を見込める品種も存在する。経済的には20〜30年間の収穫が可能ではあるが、木が大きく育つことで果実の採取は困難な仕事となる。また古い枝の根元はしだいに結実しなくなり、根からの距離が遠くなることで全体的にも小粒となる。剪定により引き延ばすことにも限界があるため、15年目くらいで再生を行う。再生の方法もいろいろあるようだが、一般的には幹を切り戻し(カットバック)、新芽を出させる。これならば植え直すよりも期間を短縮できる。またこのとき収穫を急減させないためには農園をいくつかのブロックに分けて、順番にカットを行う。新しく植え換えるのは木が枯れたときか、よりメリットの多い新品種に交換するときである。
※例外的にブラジル新農地の一部での大規模農法では再生作業を行わない。なぜならコーヒー樹は果実を実らせたまま、まるごと根元から刈り取られ収穫されてしまうからである。
落花後、子房は半年間の成長を続けて、1センチほどのまるい果実に成熟する。収穫の方法はさまざまで、成熟したものを手で摘み取る、枝から葉ごとしごき取る、落ちたものを拾う、手でたたき落とす、農業機械で収穫するなどである。最近では樹木ごと根元から刈り倒してしまう方法もあるようだ。一部で急勾配の斜面では腰にロープを捲いて作業しなければならないこともある(いわゆるモンキー・スタイル)。落果したものは腐敗したり異臭を持つ場合があり、手摘みが良いとされている。
果実の構造と外観は、チェリーまたはベリーと通称される通りである。外皮に包まれた果肉の下に、内皮(パーチメント)と薄皮(シルバースキン)、種子(豆)が収まる。それらの間には粘質物が詰まっている。
外皮は赤または黄色で、成熟が進行すると黒ずむ。果肉は白色でやや甘く、酸味と芳香がある。食感はナツメのようだが、食用フルーツとしての魅力には乏しいといえるだろう。種子はふつうは2個の半球がフラットな面で向かい合う状態で育つ。ただし枝の先端部分では一方が矮小化して1個のまるい種となる。これをピーベリー(丸豆)と呼び珍重することがある。成熟したピーベリーだけを選択的に収穫するのは手間のかかることであり、高価になるのは当然であるが、他の条件が同じならば特に味覚に優れる理由は本当のところはない。種子は成長するにつれて内部に巻き込まれて中央にセンターカットと呼ばれる溝を形成する。溝に入り込んだシルバースキンは、精製、焙煎後も残り、粉砕後はチャフともいう。
このような構造の中から種子だけを取り出すことがコーヒーの精製であり、精製された種子がコーヒーの生豆(グリーン・ビーン、グリーン・コーヒー)である。精製方法は乾式法と湿式法に大別されている。
乾式法(dry method,unwashed,natural)は古くからある方法であって、現在でも大量の水を使用できない地域や小規模農園では主流の方法である。ブラジル、イエメン、エチオピアが代表的なナチュラル・ビーンの産地であり、またロブスタの精製でも普通である。手順はまず収穫された果実をコンクリートの乾燥場に広げて天日で乾燥する。果実の状態によって1〜10日で黒変して、外皮と果肉が固く剥離しやすい皮状になる。この期間中は毎日よく撹拌を続け、夜間には小山にまとめてシートを掛けて夜露からまもる。この段階での豆の水分はおよそ20%前後だという。こうして黒く乾燥した果実をドライ・チェリーという。次にこれを脱穀し、最終乾燥を行う。仕上がりの含水率は12〜13%が目安とされているが、これは14%以上の水分が存在することで腐敗微生物の発生率が非常に増大するためである。最後にサイズ分け(スクリーニング)、機械選別(黒豆の除去)、ハンド・ピック(発酵豆、その他の欠点の除去)、格付け(欠点によるグレーディングとサイズによるクラシフィケーション)、計量と麻袋詰めを行う。
湿式法(wet method,washed)は現代的な方法で水の豊富な土地での精製に採用される。いまではブラジルやエチオピアなどを除くほとんどのアラビカ生産国でこの水洗式のコーヒーが生産されている。手順はまず収穫したチェリーを水槽に1〜2日寝かせて未成熟果やゴミ、葉を洗い流す。次に果肉除去機(プルパー)で外皮と果肉を種子から分離し、発酵槽で1日掛けて粘質物を分解する。発酵漕での処理はもともと含まれているペクチン分解酵素の作用が本来の内容である。産地によっては人工的にこれを補ったり、他の薬品類を添加したりすることもあるようだが、薬品臭の付着が深刻なダメージとなる例もある。またこのとき同時に酵母発酵もわずかに進行していて、過度の発酵により発酵臭が付くなどの危険もある。いずれにしても作業が適正に行われている限りは問題がないはずだし、人体への危険もないとされている。この後はまた1日、換水しながら水槽で洗い、最終乾燥で水分を12〜13%に揃える。水洗式で得られるのは内皮に包まれたままのパーチメント・コーヒーである。普通はこのまま保存されて、出荷時期に脱穀、機械選別、ハンド・ピック、格付け、計量、麻袋詰めなどが行われる。
ナチュラルはフレーバーが独特のものとなり、軟質の豆が多い。コストも低いが、欠点の混入も多くなる。ウォッシュトは雑味のない単調なものとなりやすく、硬質の豆が多くなる傾向がある。コストが高くなる反面、ハンド・ピックで取り除きにくい未成熟果(死豆)をほとんど混入しない。どちらも有利不利な点がそれぞれ指摘できるが、どの方法を採用するかは産地ごとの地理的経済的事情に依存する。また産地ごとの豆のイメージもほぼ歴史的に固定された様子があり、いまさらブラジルで水洗式が主流となることは考えにくいだろう。エチオピアのウォッシュトは高品質のコーヒーでありブレンドの選択肢を増やすものである。それでも単純に「モカ」とは呼べない。
最近では半水洗式(セミ・ウォッシュト)という折衷の方法も開発されている。これは水槽で洗い、果肉を除去した後の処理を乾式で行うもので、ナチュラルの特徴を保ったままで選別の精度を上げるものだという。高性能の電子選別機や脱穀機(シルバースキンの大部分まで取り除く)などの新しい技術も現在、さらに開発が進んでいる。
どの精製方法の場合でも乾燥する行程は不可欠である。最近では機械乾燥が普及している。機械乾燥は50℃の熱風で3日ほど掛けて行うもので、天候にも左右されず、作業期間を短縮できる利点がある。たいていは天日乾燥との併用である。だがこれがコーヒーを熱で劣化させるという批判もこのごろは多い。完全なサンドライにはプレミアムの付くこともある。確かに脂肪成分の酸敗の速度はわずかな加熱でも急激に加速するもので、機械乾燥の影響がないとは決していえないのである。それでも過酷さの面では赤道通過時のコンテナー内部ほどではないはずだし、熱帯産地に長くストックすることの弊害も以前より指摘されているものである。一概にこの点だけにこだわることもないだろう。
コーヒーはこのようにして作られる。だがこのコーヒーがサビ病や霜害により、地域的な全滅に陥ることがある。サビ病は伝染性の強いカビの一種で、鉄の赤サビに似たコロニーが葉の表面全体に広がり、光合成を阻害する。また気温が5℃以下に下がる場合(特に早朝)には霜の降りる危険があり、葉の付け根の水分が凝結して細胞が破壊される。いずれの場合にもほとんど一夜にして完全に落葉してしまい、まったく結実しなくなるか、立ち枯れしてしまう。これを恐れて農園では菌を付着している可能性のあるような外部からの訪問者を受け入れなかったり、松脂を燃やして煙をたてることで降霜を予防しようとしたりすることもある。
他にも小規模な自然災害では、例えばハリケーンで花や果実が吹き飛ばされたり、地震で設備が破壊されたりもする。害虫被害(ブロッカ)が大量に発生することもある。葉脈に取りついて養分を吸収するタイプの害虫も数種類が存在する。
コーヒーにはこのように大敵が多く、いつでもどこかでこうした被害が起きているといえる。それがたまたま大きな被害で、収穫の重大な減少となるときもあり、その場合には価格は瞬時に暴騰することになる。一時的な被害であればともかく、木が枯れるほどの被害を受けた農園ならば、生産を回復するためには、すぐに木を植え直したとしても3〜5年を要するはずである。そしてその頃には世界中の産地で高価格に対応した増産準備が行われているだろう。実際のところ、価格が高い水準で推移し続けるときは高収穫型への品種交換のラッシュであり、産地によっては豆の様子がすっかり変わってしまう。そして次には当然、時限装置的に価格は暴落する。コーヒーの植物学的な特徴が生産調整のタイムラグをもたらし、価格の変動をダイナミックにしているといえる。この時間的ずれはさまざまな条件により変化もし、これに投機資金や政治的な突発の事件(海上封鎖など)が関係することで価格変動の波はまったく複雑きわまりないものとなる。
需要の一巡したこの100年間、コーヒーの生産は儲かる商売などではなくなっている。生産国が利益を得るためには、どこかの地域が犠牲とならねばならない。相場が上がったところで、確実にやってくる暴落に備えての増産とコスト・ダウンには取り組まねばならない。それは価格の維持をさらに困難にする後戻りのできないジレンマである。この悪循環に対抗する策にはいくつかのものがある。
1.と2.の結果、霜害と病害の大きな被害のリスクは確実に少なくなりつつある。短期の価格変動幅が小さくなることで、国家規模の生産管理の余地が広くなる可能性はある。一方ではその副効果として機械化と大農場化が促進され、より高収穫型の新品種が生まれてきた。このことはコーヒーの生産コスト(=価格の下限)のよりいっそうの低下をも意味している。3.の試みは今のところ暗礁上にある。最初はブラジル単独の輸出制限、次にはケネディによるICO(国際コーヒー機関)の提唱。そして近年の輸出国協定。その成果は経済に網を掛けることの困難さを確認するものにすぎない。
トータルに考えれば、超長期的なコーヒー価格のダイナミズムは今後、水平移動に近いものに移行する。災害による短期的な価格の大きな変動がなくなることは考えられないが、だんだんと小幅になる。生産の効率化は進む。国際的なカルテル組織が機能する可能性があるとすれば、後の段階においてであろう。
商業的に栽培されるコーヒーはアラビカ、カネフォラ(ロブスタ)、リベリカのいわゆる「3原種」である。
他にもリベリカ種に近いエキセルサ種がよく知られる。これは霜や害虫への抵抗力が極度に強く、もっぱら研究用として重要である。またこれらの苗木を接木することで、異種交配種(ハイブリッド)が開発されている。
栽培されるコーヒーのほとんどがアラビカ種であるが、これも多数の栽培品種に分類されることが一般的であるので代表的なものを整理しておきたい。アラビカ種とロブスタ種の違いは遺伝的な違いである。またアラビカの各品種、さらにはそれぞれの木がそれなりの個性を遺伝的に備えていて、このことはまったく同等の意味を持つ。分類の目的においてはこのようにまとめることも便利だろう。
コーヒーの種とアラビカの品種の主要なものは以上である。品種がこのごろ一般的な知識となりつつあるのは、プレミアムの宣伝あるいは米など他の作物での流行を反映しているのだろう。品種ごとの特性はアラビカ・コーヒーの品質を確実に左右はする。しかし他の要因をすべて無化してしまうほどに重大ではありえないものである。
市販されるコーヒーの種類といえば、その基準はあまり明確には決まっていないようでキリマンジャロとタンザニアが別のコーヒーのような対立を見せるほどである。生豆段階でも名称は産地国(コロンビア)、地域(ボゴダ)、積出港(サントス)、タイプ(マイルド)、通称(キリマンジャロ)、ブランド(〜マウンテン)、品種(ブルボン)などと本当にまちまちである。サンプルなしで判断しなければならないことは多いが、これでは結局のところ、きちんと意味を理解していなければ混乱するばかりである。どのような表現が使用されるかは場合による。例えばコロンビアを購入する際にメデリンとマニサレスを区別する必要がある人は少数である。メデリンの麻袋にメデリンばかりが入っているという確実な保証もないといわれる現状、メデリンを指定するのはたんにその名称に関心があるにすぎない。取引者の関心のありかはコーヒーの使い方によって決まる。ブラジルなら本当になんでもいいという人にブルボン・サントスですからといっても説得力がないし、サイズにこだわらない人がスプレモを買う理由もない。コーヒーの使い方というのはどの段階でコーヒーの流通や使用に関係するか、何を要求するかという問題である。表現がいろいろに分裂しているように見えるのは、生産と消費をつなぐ流通の川がいろいろに分岐して、蛇行してきたためである。
格付けは各産地国ごとに専門のコーヒー機関によって行われる。これらは流通、価格、品質を管理し、研究、宣伝、統計などの ICO の加盟国としての活動を行う。制度面での個性がそれぞれあって、IBCやFNCが大きな力をもつことは有名。機関と制度については産地別の項目で示したい。各地で採用されている基準と方法の主要なものは次のとおり。
これらに加えて、この頃のプレミアム・コーヒーと呼ばれる商品では特別の項目を設定されることも多い。すでに述べたことを繰り返すものもあるが、整理しておきたい。
コーヒーの取り引きのうえでのいろいろの扱い方は以上。ところで生豆のよしあしを見ることだが、これは実際にテストを行うしか方法はない。ダメージ品(精製や運搬、保管時に薬品臭、発酵臭が付着したり、腐敗したもの)やプレミアム品も含めての、これはすべてコーヒーについての基本だ。栄養不良のような貧弱な豆が良くないとか、はちきれそうな艶のある豆がいいとか、粒が揃っていないと信用できない、いやそれは関係がない、品格のようなものが感じられる、やはり枯れたものが焙煎しやすい、ニュー・クロップでないと味が抜けている気がするなど、それはすでに述べたようにそれぞれの立場と思惑と個人的な経験と考え方とで主張されるべき事実だ。そのような傾向が認められたとして、それでもそれはコーヒーを実際に飲むこととはどうしても関係がない。理解しづらいだろうか?
いまさらのことだが、ここに紹介したような知識もまたあくまでもコーヒーを体系的に理解するためにこそ有効なメルクマールであって、知識に飲まれてしまうようなら知らないほうがまだましなのだ。コーヒーは結果であって、自分で飲んでみるまでは最終的な判断などできるわけがない。味の予想ができることはあるけれど、その予想は漠然としたものであるし、どこまで正確とも限らないのだ。格付けは各国のコーヒー機関が行うが、最終消費者にはなんの意味も持たない。他人の舌をあてにしても仕方がない。
コーヒーがイスラムで認められたのは16世紀、やがてヨーロッパにも公認されることで需要は順調に増大した。17世紀にはアラビアから持ち出されてアジアでの栽培が始まる。移植先は苛酷で有望なオランダ植民地だった。それが新世界のフランスの土地に伝わるには数年を待つことなく、さらにスペイン、ポルトガルが参加した。こうして栽培地は世界一周して、コーヒー・ベルトが形成されたのである。どれだけコーヒーが期待に満ちた商品であったかは推測できるだろう。実際にこれほど利益を生むような商品は他には想像もできなかった。また新しい生産地でも飲用の習慣が定着した。世界中がコーヒーを作り、コーヒーを消費するようになったのである。
植民地経営とは強制された国際分業のことをいう。そしてそれは大抵は極端な不平等のもとに実現される。植民地は労働と市場、あらゆる資源を提供し、ヨーロッパが資本と技術を独占した。支配は方法としては残酷、無邪気、巧妙なものである。
そしてまたまもなくこの制度は解体されたのではなかったか。18世紀のうちにはアメリカで、20世紀にはアジアとアフリカで、それぞれの事情において独立が始まり完了しているはずである。だが独立は自立とはまったく無縁のものなのだ。それはただ植民地支配の制度への強力の解除に過ぎなかった。支配が奪い取ったものはたんに資源だけではなく、さらに重大な可能性そのものなのである。
経済は成長するとき、政治や文化、社会などの鋳型によって自律的に形を整える。そしてそれらの諸部分がたがいに強制しあうとき、市民は固いしこりを見付けて苦にするのである。旧宗主国とのバランスが作り出した熱帯の経済は、もはや同じ枠組みのなかでしか有効に機能しない構造になってしまっている。要するに単一の一次産品に特化させられた社会資本が、それ以外のものをいまさら自給するには無理があるのだ。相手が社会主義の同盟国やあるいは世界全体に変わったとしても、それはもうどうにもなりはしない。傷付けられた羊は自然に治癒することのない致命傷を受けているのだから。
コーヒーは悲しい熱帯の産物であるが、たまたまそうなったのではない。コーヒーにかかわる以上は、産地の国々の大半がおかれている歴史的、政治的状況は知らないではすまされない。
コーヒー産地は世界中に広がり、緯度や高度、気候により収穫の時期はことなる。ここにまとめた国別一覧はその比較のためのものだ。
一般的なことだけを述べるが、開花は次に来る収穫を予想するうえでもっとも重要な指標となる。花は十分な数を付けているか、例年より遅れてはいないか、気象に異常は見られないかなど。収穫が始まっても初期のものはまだ成熟していないものが多く含まれていたりすることがある。season の最中に災害などが発生した場合には後期のものに影響が出る可能性がある。収穫されたものが日本に到達するまでの日数も単純に距離によって違ってくる。半月で届けられるものもあれば、二か月の船旅を要するものもある。
ここに示したものは目安である。個々の産地についてはさらに詳細な研究をされることをおすすめする。
欧米では冷戦に直面した宗教的反省の時代を経験しているので、アンチサイエンスの潮流とみなせるような文化のムーブメントがおおいに存在します。たとえばドラッグ、東洋思想、ヌーディズム。オーガニック・フードもまた同様の起源から出発しているはずです。そのひとつとしてのオーガニック・コーヒーです。最初から欧米市場向けに作られたコーヒーなんです。
似たような動きは日本にももちろんあって、泥付き野菜が売れたりもしています。けれども宗教的な動機などを完全にシェアしているわけではありませんし、どこまで根の深いブームとなり得るものか疑問です。また健康なものが健康を志すという恥知らずな趣味は日本ではたんなるひまつぶしでしかありません。身体を崇拝したりしないので、いつかは飽きる。ほんもののベジタリアンが育たない環境なのです。アメリカで繁盛する商品がどこでも通用するかどうかは分からないことです。有機食レストランも増えてますけど、いつまでやっていけるものかな。
有機農業の理論的根拠は実ははっきりしていません。論拠はあっても、実証されているものではないのです。
単一の肥料成分を大量投与することで特定の微生物が異常に増殖する。その活動により特定の微量元素が消費され、植物体の成長を阻害する。連作障害と同じことになる。一応そのように言われています。
栽培方法よりも、価格が高い分だけ手間をかけられて、結果としておいしいものができたとしたほうが、むしろ説得力はあります。実際そういう傾向も認められています。
「無農薬」のトピックもご覧ください。
炭火焙煎のメリット。
ガスも電気も使えないところで熱源が必要なとき有効。でも攪拌は人力が必要かな。それから炭って値段が高いからいばれる。さらに火力の調整がむずかしいから、それだけで技術を誇示できる。それに秋刀魚と間違えてうまそうだと思い込む客がたくさんいて、高く売れて儲かるということもあげられます。焙煎機の構造上、そんな利点は期待できないのですが。利点というのはそれくらいですかねえ。
炭焼き焙煎機のほとんどは熱風釜の改造です。10KGS あるいは a half bag (30KGS) のタイプをベースにします。理由は熱量調整を容易に行うためです。つまり燃焼室が焙煎チャンバーと分離しているため。しっかりした吸排気機能があることが転用に有利なのです。秋刀魚のようには焼けないというのも、実はこのことが理由。遠赤外線は直接、豆には届かないのだ。
そういえばかつてあった沙羅笑慕というチェーン店では炭とガスを併用する独得の焙煎機を使用していました。今ある残党組ではただの炭焼きを仕入れしているようですが。
まともな炭なら余計な香りが付くことはないみたいです。
コーヒー糟の再利用方法。
ぼくの認識ではオールドビーンズとは「コーヒー生豆産地にてパーチメントの状態で適切に 3年以上寝かせて枯れさせたコーヒー生豆、その焙煎加工品」なのですが、これに該当するものは戦後は世界中のどこにも存在していないはずなのです。だから本当のところは飲んだことのある人にもまずお目にかからないし、比較のしようもない。
国内では輸入された麻袋をそのまま数年据え置いてこれはオールドビーンズだと言い張る場合もあるようですが、それを始めたのがなんと言ってもランブルの関口氏、世間に広めたのがコクテール堂の (故) 林氏ではなかったでしょうか。
豆が日数を経て味が変わるのは確実なこと、それを肯定的に取るか否定的に取るかは、逃げ口上と取られるかも知れないけれどやはり「嗜好の問題」なのではないかと思っています。
倉庫のすみの窓際に放置されて忘れられていた物をありがたがる有名人もいるそうです。いくら嗜好の問題でもあんまりというものです。
全日本コーヒー商工組合連合会の『日本コーヒー史』 (1980) の引用です。
「当時のイミテーションのメーカーは,大豆や小麦のコーヒーを本ものの代用品としてつくっていたわけではない。(略) それを日本人向けのコーヒーと考えていたのである。(略) ベルギーやフランスやドイツやアメリカでも一部の人達はチコリー入りのコーヒーを好むといわれる。各国それぞれに飲み方もあるし,特殊なコーヒーもあるのだから,日本には日本人向けの特殊なコーヒーがあってもいいわけだ。(略)
その考え方がコーヒー豆の輸入減小に伴う代用品時代の到来とともに,新たな勢いを得て,舞台の正面に躍り出てきたのである。(略) 大豆製イミテーションには,大豆でつくったその粉末をわざわざ焙煎したコーヒー豆に似せて固めたものがあった。
(「代用品問答」では) 「 (略) 要するに植物性物質であれば,大方のものは珈琲代用品の原料になるが,代用品は,その目的によって大きく2つに分けられる。すなわち量を増すものと,浸出液を濃厚にするものである。前者によく用いられるものはコーヒー殻,葡萄核,大屑などであるが,これらは良心にみて推奨できない。後者の原料には大豆のほかに大麦,ライ麦,麦芽,蕎麦,ニンジン,タンポポの根などがある。
この他にも無花果,チコリー,龍眼乾果,ナッツなど,糖分の多いものはコーヒー代用品の原料として理想的であるが,季節的なものや生産量の少ないものが多いため,営業的にはならない。諸外国で行われているように,大麦など禾殻類に属する澱粉質のものが味において珈琲に近く,麦芽にすることによって澱粉質を糖化してこれを用いるのが,珈琲代用品として工業化する上においても至便であり理想的である。
結局,珈琲の代用品にどんなものを選択するか。第一に糖分の多い果実類がもっとも理想的で,次に澱粉質のものだが,この場合は澱粉質を糖化するということがもっとも肝要である。」
ジャマイカ
Jamaica
首都 キングストン
主要言語 英語
通貨 ジャマイカ・ドル
ジャマイカは、北カリブ海に位置する島国である。気候は熱帯に属していて、北部の珊瑚砂の海岸、海岸線を分断する険しい山岳とそれをとりかこむ森林、細流、湿地帯と肥沃な土地に恵まれ、観光を最大の資源としている。国名の元になっているザイマカ (Xaymaca) は原住民のアラワクの言葉である「木と水の土地」の意である。地理的には中継地点であり、アメリカにおける海空の主要航路を現在もことごとく中継していることから、その位置の重要さは容易に分かる。
島の歴史は1494年のコロンブスとスペインによる占領に始まる。1655年にはイギリスが島を侵略し、数年後にはイギリス領。初期のイギリス植民者はタバコ、綿花、ココア、藍などを植えた。この時代のジャマイカは地理的な特異性も手伝って海賊都市ポート・ロイヤルを栄えさせることになる。海賊とはこの場合、英海軍の通常の業務に他ならなかった。このような方法で覇を競う時代があったのである。やがてイギリスはスペインより海上の覇権を奪い、海賊都市も地震により崩壊してしまう。
その後の競争は植民地における産業的立場に舞台を移した。プランテーションによるサトウキビの生産、コーヒーの導入は大量の資本と労働力を集約するものではある。新大陸における奴隷制はそれ以前より公然と行われていたことだが、奴隷制プランテーションの公認により活発なものとなった。現地奴隷は原住民の死滅とともに不可能になり、奴隷貿易が始まった。
ジャマイカの中継地としての地理的位置はここでも有効に利用され、輸入されたアフリカ黒人はまずジャマイカに降ろされる。島で扱いきれないほどの大量の奴隷はもちろん他の島やあるいはアメリカの全域に再販売されていたのだ。
19世紀になると移民と奴隷での混血が進行し、また逃亡奴隷の反乱、アメリカ合衆国の独立と奴隷解放宣言を受けて、移入された黒人奴隷は自由農民の立場を獲得し、大戦後には自治権を獲得。1962年の革命後は独立国となった。とはいえ現代のジャマイカ経済はまだ英連邦に支配される立場である。
コーヒーについてはイギリスによるプランテーションの時代からの継続である、つまり古くからの木を保ち、手作業で収穫し、丹念に選別し、さすがは最高のブルーマウンテン..というイメージがやはり根強い。もっともそれは資本的な制約や地形の問題がそうさせたものであるし、また他の産地が劣るということではない。それどころかコーヒーの生産は質量ともに、奴隷の安価な労働力を失った後はずっと低迷していたのである。これを組織化し、技術を指導し、活性化させたのがイギリス政府の援助による技術者の派遣であり、これはそれほど昔のことではない。ブルーマウンテンの伝説的価値はジャマイカ経済を利用しつつも支え続けなくてはならないイギリスの選択が生み出したものではないかと考えられる。
ジャマイカのコーヒー生産はコーヒー工業会 (CIB,coffee industry board) および同会の承認に基づいた農業組合などが生産、精製、輸出を管理している。
ブルーマウンテン (BLUE MOUNTAIN) は山地であるブルーマウンテン地区の一定高度以上のものに与えられる商標である。一説には高度 4,000 フィート以上。ところがこの基準が変動するうえに、厳密ではない。地区には 2,000 フィート程度の低地もあり、こんな低地産のものもブルーマウンテンとして現状、流通しているのではないか。圧倒的な需要過多であれば、どんな品質も以前ほどには問題とはならないのだ。
ブルーマウンテンには No.1, No.2, No.3, triage があるが、本来は国内で使用されるような最低規格の triage が潤沢に日本に輸入され、使用されているのは残念なことである。本来の輸出規格品は No.1, No.2 であり、No.1 は SCR 18 である。
ブルーマウンテン地区の精製工場には WALLENFORD (WALLENFORD ESTATE) ,Mavis Bank Central Factory (MBCF) , MOYHOLE (MH/BGT) , SILVER HILL (PC/SH) の指定工場およびそれらを補完する Blue Mt. Coffee Co-op (MHGGI) , Portland Blue Mt. Coffee Co-op (PCCSH) , Sir John Peach, J.A.S. Langley があるが、これらの違いは所有、管理者であり、もちろん工場の扱う農場の範囲も異なる。WALLENFORD は人気も高く、高品質との評判が高いが、実際のところは品質に格差は認められないし、価格差もない。
他にブルーマウンテン地区外のコーヒーとしてハイマウンテン (HIGH MOUNTAIN) 、プライムウォッシュト (PRIME WASHED) 、ウォッシュト (WASHED) がある。
コーヒー以外の輸出品目では観光を除いて、バナナ、ボーキサイトが重要である。
ブラジル連邦共和国
The Federative Republic of Brazil
首都 ブラジリア (1960 年以降)
主要言語 ポルトガル語
通貨 レアル
1500年に探検家カブラルが発見してポルトガル植民がすすんだ。1580年にすべてのポルトガル領とともにスペイン支配となるが、1640年には本国の自治権回復にともない、ポルトガル植民地となる。1822年に本国より王政独立を宣言、1889年には連邦共和制となった。
1964年に軍事政権が成立して大規模な産業化政策を採用。農工業で多面的な成功を達成して、1985年に民政に移管した。
地形的には高い山が存在せず、600〜1,000mの高地と平地が広がる。気候は大部分が熱帯に属する。あまりに広い国土は南米の北半分を占める面積8,512,000?に及び大半が無人である。植生は多様であり、内陸部は肥沃なカンポ・セラード(森林サバンナ)、南部のパンタナル地方は低湿サバンナ、北部はセルバ(低木森林地帯)となっている。農業はそれぞれの土地にあった作物が栽培されているが、主流は原始的で破壊的な農方である。生産性は高くはない。まだ未開発の土地が多くあり、さらなる発展の可能性は大きい。部分的に近代的大農場(ファゼンダ)が発達している。栽培品目はコーヒー、キャッサバ、サトウキビ、大豆、オレンジ、ココア、タバコなどである。牧畜もさかんであり、肉牛生産は非常に多い。工業は自動車、金属、繊維・織物、製紙、化学製品が主なもので、やはり南東部のサン・パウロ州を中心に発達している。鉄鉱、貴金属などの地下資源に恵まれているが、金は植民地時代に枯渇している。観光資源も重要である。
ブラジルで最初に開発された資源はパウ・ブラジル(ブラジル木材)という赤色染料の原料であり、ブラジルの名称もこれに由来する。しかしこれは乱暴な伐採のためにやがては枯渇寸前になり、また化学工業の開発につれて需要そのものが低迷する。木材産業の衰退とともに同時に発達してきのが砂糖産業である。砂糖はポルトガルが本国やアフリカでも扱ってきた商品作物であり、技術も市場も用意されていた。土壌も気候も適していた砂糖産業はそれなりの活況を呈したのだが、これも続けて衰退してしまう。西インド諸島での栽培にオランダが成功し、ヨーロッパでの競争力が失われてしまったのである。最後にようやくコーヒーに目が向けられた。コーヒーの生産はすでに1727年の仏領ギアナからの移入にさかのぼるが、本格的に産業化されたのは100年後の独立前夜のことなのである。テラ・ロッシャ(赤土)もコーヒー栽培には最適な土壌であった。砂糖産業の遺産である労働者、開拓村、設備と制度を受け継いだコーヒー産業はブームとなり、19世紀の中頃には世界生産量の1/3程度にまで達している。現在では産業の多様化に成功したことで、コーヒーへの経済的な依存は小さくはなった。それでもブラジルの最も重要な産物がコーヒーであるという事情は変わっていない (GNPの10%を依存) 。ブラジルは世界最大のコーヒー消費国でもある。
平地での農業は大規模栽培に向いている。反面、コーヒーの場合には水洗処理に必要な大量の水の確保が難しく、精製方法は伝統的な乾燥式が主流である。ブラジルはナチュラル・コーヒーの代表的な銘柄であり、マーケットではブラジル・コーヒーの枠も設定されている。味はやわらかくクセのない中性的なと表現されることが多い。確かにそんなブラジルらしいコーヒーという表現は可能であるし、傾向のまとまりも指摘できるだろう。しかし産地全体の規模がこれほど大きくなれば栽培品種、土壌、気候、設備、交通や政策などの地域ごとの条件の違いが大きくなってくる。ブラジルの栽培品種はブルボン系のものが多い。もちろん古い産地では古い品種、新しい産地では新しい品種が割合として多い。
最大の人口と積出港サントスをかかえるサン・パウロは古くから開発が進み、かつては栽培の中心地であり、資本集約の結果として生産量とよい品質の両立する土地であった。モジアナ地区は特に有名。品種はブルボンが今でも多い。しかし近年は設備や木の更新が遅れていることもあって、新しい開発地域より選別精度やサイズ、量的にもかなり落ちているという事実がある。
パラナは最大の生産州であった。やはり古い産地であり、肥沃な土壌と雨量の多さはあらゆる農業に適している。回帰線以南の土地であり、霜害のリスクが非常に大きい。そのためもあり質的にはサン・パウロよりはやや落ちる。価格維持政策のためにオレンジなどへの転作が促された時期もあり、また1975年の大霜害では全滅的な被害の中心地となって北の新開発地への農民移転が行われた。そのため現在の生産量は多くない。
ミナス・ジェライスはサン・パウロの北部につながる州で、連邦地区ブラジリアにも接している。サン・パウロ側の一部での栽培が行われてきたが、大霜害のあとは内陸部セラード地帯の開発が国家事業として推進されている。温暖で霜害の危険が少ないことがその理由である。最新の灌漑設備や栽培技術の導入の成果は品質面、生産量でも実現された。現在では最大生産地である。
他の産地はエスピリト・サント(ビクトリア・コーヒー)、リオ・デ・ジャネイロ(リオ・コーヒー)、マト・グロッソ、サンタ・カタリナ、バイア、ゴイアスなどがある。いずれも品質、価格は低いとみなされている。
ブラジルコーヒーの全面的な管理を行う機関がブラジル・コーヒー院(IBC,INSTITUTO BRASILEIRO DO CAFE)であり、商工省管轄の国家機関である。IBC は価格、品質、格付、研究、流通の管理機関であって、関連諸税によって運営される。市場政策と金融の機関でもある。実際の産業の運営は農場と工場を保有する多数の輸出業者(シッパー)が行うことになる。生産されたコーヒー生豆は麻袋に摘められて、IBCや精製専門業者を経由するか、直接に輸出業者に売却され、輸出業者は IBC 管理で格付けを行う。輸出基準に合わないコーヒーは国内消費と加工原料(インスタント)に利用される。
格付けの基準はタイプ、サイズ、カップの複数が採用される。もっとも重要視されるのがカップである。ただし日本に輸入されるのはほとんどが SS に限定されているので、あまり言及されることはないかも知れない。ここでいうリオ臭とはリオ・デ・ジャネイロ周辺の土壌に含まれるヨードホルム臭のことである。一度経験するともう忘れないような味がする。
タイプは欠点法による分類。200〜250袋のロットに分けられた生豆を買い付けた輸出業者は、1ロット当たり300グラムのサンプルを抜いて試験する。欠点の基準は小石、黒豆、未熟豆などの異物や味を害するもの、外観を害するものの順に高い点数が付けられる。
サンプルの結果によってロットの格付けがなされる。欠点数 4 以下が NO.2、8 が NO.2/3.. 36 が NO.4/5、360 で NO.8 となる計 41 段階。完全なコーヒーは存在しないという意味で NO.1 はない。麻袋に NY.2 と表示されたものはニューヨーク市場向けの NO.2 という意味であり、やや品質は落ちる。(2/3 までは落ちない。)
実際には14/15/16や17/18というような複数の基準にまたがるような選別がなされることが多い。スクリーンサイズ表示。
ブラジル式の欠点数計算。ロット・サンプル約300gによる。
サンプル中の異物欠点数
ブラジルは世界最大のコーヒー生産国であるが、消費量でもまた最大である。かつて不作の年には輸出を輸入が上回るという逆転すら起きているほど。江戸町人がちょっと蕎麦でもという感覚で、気軽に何度でもバールに足を運ぶ。
日系のレジーナ Regina からメールでいろいろと教えていただいた。ブラジルでも喫茶の場所は多様である。以下にその概略を引いておく。
普通にコーヒーを飲みに行く時は、コーヒーしか飲みません。けれども砂糖をいっぱい入れるので、甘いものをわざわざ食べなくてもよいようになっているかも知れませんね。日本のようにクリーム類は一切ありません。牛乳を入れて飲みたい人は、カフェ・コン・レイチ (Cafe com Leite) ようするにカフェ・オレ、あるいは、ピンガード (Pingado) ホットミルクにちょっとだけコーヒーが入っているものを頼みます。そうするとデミタスカップではなくて、熱いのにガラスのコップに入ってきて、下には小皿が敷いてあり、スプーンがついてきます。チップをあげる時は、 コーヒー一杯分というふうに相場が決まっています。「コーヒーでも飲んで」と言ってあげます。経済事情を説明する時にもコーヒー一杯いくら、バス代いくら、パン一個いくらという感じで目安にもなります。
マテ茶は、普通はお砂糖をいっぱい入れて甘くして、冷やして、ライムの輪切りを浮かせて飲みます。日本みたいに熱くして飲みません。鉄分がとても多いので女性向きのお茶です。アイスマテ茶は、海辺で寝そべっていると物売りのお兄さんが必ず売りにきます。乾燥をしていて暑いところで飲むと格別です。
マテ茶の木は、天然もので背が高くて葉が大きくて厚いものが良いものらしいです。今は栽培用に背を低くしており、葉も若いうちに摘んでしまうので品質的には、昔のマテ茶の味は出せないみたいです。お茶は古くなると良くないとは言いますが、マテ茶の場合は3年以上たったものが良いとされます。ブラジルで有名なメーカーは、Mate Leao (マテ・レアォン=ライオンの絵が書いてあるオレンジ色の箱で、日本人移民でサクセスをした人の会社です) でティーバッグのかたちで売られています。葉が細かくなっているので手軽に抽出できます。
※古典となった『悲しき熱帯』の記述では、マテは熱い飲み物として記述されている。そして砂糖を入れたりもしない。もともとがインディオのものであるのだ。同書では濃厚な抽出液を回し飲みする場面が描写されており、これは他の文献にも見られる。何にでも大量の砂糖を入れるのは、かつて砂糖農園の開発で拡大したこの国にふさわしいことだ。甘く冷たい飲み物として定着したのはおそらく戦後のことだろう。
インド共和国
The Republic of India
首都 ニューデリー
主要言語 ヒンディー語、英語
通貨 ルピー
南アジアの亜大陸国家。中央を北回帰線が横断し、国境線は山脈と海岸線、砂漠に切り取られた形となっている。ここは古い時代 (前1500頃) より他民族の流入を受け、また複数の世界宗教が混在する土地であり、るつぼとも称されている。カーストによる貧富や身分の格差を容認する文化が社会を分断し排他化しているとも指摘される。
政治史としては仏教王朝時代、イスラムのムガール帝国の支配を経過、18世紀に帝国のイギリス支配が確立、19世紀にはインド・イギリス帝国が成立する。第一次大戦後の独立運動の結果、1947年に独立。現在は共和国であるが、あるゆる問題をいまだはらみ続けている。
気候は海岸部の熱帯モンスーン気候、南高原部のサバンナ気候、北部の温帯モンスーン気候、西部のステップ気候となっている。各地の農業生産は気候に適したものに特化している。たとえば海岸部全域とヒンドスタン平原ではコメ、アッサムの茶、北部の小麦と西部の綿花はいずれも大量の収穫を生み出しているが、これは大面積と労働力の集約によるものに過ぎず生産性はきわめて低い。また多くは零細農家による生産である。
コーヒーは南端の高原部 (カルナタカ Karnataka 、タミルナジャ Tamilnadu 、ケララ Kerala の3州) を中心に生産されている。移植栽培はかなり以前にさかのぼり*、品種的にもモカに近いものだが、輸出作物としての生産の近代化と組織化は近年のものである。イギリス支配時代に組織の原型は作られたのだろう。
* 1670年に巡礼者ババブダン Baba Budan がイエメンより持ち込んだ。貿易港マラバール付近にて栽培。
コーヒーは精製脱穀業者が集荷し、コーヒー・ボード Coffee Board によるオークションを通過して登録輸出業者に分配される仕組である。ボードは買付時に品質と生産を、オークションで価格と販売を一元管理している。
生産されるコーヒー種はアラビカとロブスタであり、精製方法も水洗と非水洗式がある。一覧にすれば以下のようになる。
インド・コーヒー独特の方法としてモンスーンド・プロセスが知られている。日本での取扱い問屋であるワタルの広告文がよくまとまっているので引用しておく。欧米での評価もすでに高い商品である。
まだ帆船の時代、コーヒーをインドからヨーロッパの港まで輸送するのに約半年かかりました。この長い航海中に、船倉に保管されたコーヒー豆は船倉の湿気で緑色から黄金に変わり、独特の香味を持つようになりました。そして多数の国で、このコーヒーを見るとインドを想起するようになりました。時は帆船の時代から蒸気船の時代に変わり、スエズ運河が開通すると、インドからヨーロッパまでの航海日数は大幅に短縮され、このコーヒーは姿を消しました。しかし、インドコーヒー独特の香味を懐かしみ、黄金色のコーヒーを求める声は日増しに大きくなりました。インドはこの要望に応えるために5/6月に吹く南西のモンスーン (貿易風) を利用したモンスーン・コーヒーの生産を始めました。アンウォッシュド・アラビカ・コーヒーを風通しの良い倉庫で4〜6インチの厚みで拡げ、4〜5日乾燥させます。そして周囲の湿気にコーヒーが均等に晒されるよう時々かきまぜます。その後、袋に詰めて幾つもの列に並べます。列と列の間は十分に拡げてモンスーンがコーヒーの列の間を絶え間なく、均一に吹き抜けるようにします。週に一度くらいの割で、コーヒーを袋から出して詰め換え、あるいは袋の列を並び換えます。こうして6〜7週間経つとコーヒーは黄金色に変わり、独特の香味を持つ完全に「モンスーン化」したコーヒーになります。コーヒーはその後、船積みのため精製加工されます。モンスーン・コーヒーの輸出の時期は10〜12月で、欧米の多数の国で愛飲されています。
エチオピア民主人民共和国
People's Democratic Republic of Ethiopia
首都 アジスアベバ
主要言語 アムハラ語、英語
古代より王政国家であり、19世紀には帝政統一。1974年にクーデターが勃発、社会主義を目指すが、80年代に失敗が明らかとなる。政治的不安定のまま、90年代からは暫定的な政権が統治している。またこれに重なり旱魃や部族対立、地域の独立などの困難な要因が複雑にからみあっている。植民地化された経験もなく (可能性はあった) 、国連の介入も不完全であり、 解決の様相はまったく見えない。
エチオピアは国土のほとんどがサバンナ気候の高原であり、本来ならば肥沃な土地である。ところが実際は未開発で、自給自足的な農耕を行う農民達は貧しい。コーヒー輸出が最大の産業であり、そのコーヒーは野性にも近い。生産性は低く面積当たりの収穫はブラジルの8割程度しかない。
生産方式はほとんどが非水洗式だが、一部では水洗設備が稼働をしている。ハラー、カッファ (ジマ) 、シダモなどの大産地では中規模ながら農園が管理されているが、そのほかは個々の農民が小規模に栽培するか、または野性のチェリーを収穫している。
非水洗のコーヒーの場合、収穫されたチェリーは各地方の仲買業者 (ブローカー) によって集荷され、脱穀される。これらのブローカーは取引中心地である首都アジスアベバやディレダワ (ハラー) に輸送し、オークションにかける。取引の相手方となるのは輸出業者および ECEE (Ethiopian Coffee Export Enterprise) という元国営の寡占企業である。
水洗式の場合にはほとんど ECEE だけが直接に集荷から精製、輸出までを行う。
オークションで調達されたパーチメントは輸出業者が精製も行う。このあと格付けされ、政府機関によるチェックを経て輸出許可がされる。
格付けは欠点法であり、次の基準が採用されているという。
欠点数は黒豆、割れ豆、石や木片などの異物の種類により 1 から 10 が定められている。
グレード5以上のものは麻袋に UGQ (USUAL GOOD QUALITY) の刻印が認められ、輸出規格品となる。ただしこの規格はかなり特殊な運用をされていて、水洗式で精製されたコーヒーはすべて grade 2 である。また非水洗式では標準的な品質はほぼ固定的であり、日本向け規格品 (Japanese preparation) の場合には、シダモ (SIDAMO) が grade 4 、ジマ (DJIMMA) やレケンプチ (LEKEMPTI) が grade 5 といった具合である。
ほかにハラー (HARRAR) の場合にはサイズによって BOLDGRAIN, LONGBERRY, SHORTBERRY という規格が併用されている。
エチオピアのモカは原産地のワイルド・コーヒー (それかそれに近いもの) であり、多様である。味には広がりがあり、今後の高品質化がもっとも期待される商品といえる。
※追記 ECEE の前身はコーヒー紅茶開発省 (MINISTRY OF COFFEE AND TEA DEVELOPMENT) 直営企業の ECMC (Ethiopian Coffee Marketing Corp) である。ECMC は事実上の標準輸出業者だった。近年、民営化されて同時に名称も変更されたが、業務や組織の体質はあまり変化していないという。またこれにともなって民間の輸出業者の数は増大し、競争も激しくなっているとのことだ。外国資本の参入も今後は考えられるようだ。
ところでコーヒー原産地と言われるエチオピアには 16 世紀に焙煎という加工が広がる以前からのコーヒー (bunn) 利用があり、それは現在でも一部に残っている。まずは野生のそれ、特に葉をそのままガムのように噛むこと。そして実や葉を煮立てて茶のように飲むこと。そして粉砕した生豆と獣脂を捏ねてだんごにして非常食とする。精製時に取り除かれた果肉をワインにもするし、やはり実を火で炙って煮出したりもする (qishr, kisher) 。
複雑なコーヒーの儀式はよく知られるところである。
イエメン共和国
Republic of Yemen
首都 サナア
主要言語 アラビア語
アラビア半島南端の土地。北東の乾燥地帯と南西の高原部でまったく違った印象を与える国。特に首都サナア周辺は優れた農耕地帯として知られている。
栽培用のコーヒーは紀元 6 世紀頃、エチオピア人の侵入と半世紀に渡る占領を受けた際、占領者によって移植されたと推測されている。当時すでに近代的ともいえる潅漑水路が建設されていた。これが今日の世界のほとんどすべてのコーヒーの祖先であり、故郷である。
16 世紀にはじまるオスマントルコ支配とほぼ同時にコーヒーは重要輸出産品となる。19 世紀にイギリス植民地となるまでの長い期間、コーヒーは種子としての輸出を禁じられていた。その精製過程には予備焙煎あるいは煮沸が組み込まれており、豆は発芽能力を奪われていたと伝えられている。*当時の輸出積出港モカはコーヒーの代名詞となった。現在でもモカといえばコーヒーのことである。
*しかし 1616 年にオランダ商人がアデンから苗を持ちだしており、 1658 年にはセイロンにこの子孫が移植されている。またイスラム巡礼者 Baba Budan の密輸によって 1670 年インドにも流出した。種子の独占を失った結果、モカの優位性はその後失われた。
1918 年に北イエメンが独立王国となり、1962 年に共和国となった。1967 年に南イエメンが社会主義共和国として独立した。両国は 1990 年に統合し、現在に至る。
重要な産地は紅海に沿った山岳地帯。バニー・マタル (Mattari, Bani-Matar) 、アル・マッカ (Al-Mukha, Mocha) 、サナア (Sanani, Sanaa) 、シェーキ (Shaykh, Aden) 、ホデイダ (Al-Hodeidah, Al-Hudaydah) などである。いずれも栽培の歴史は古い。ただし現栽培種は移植されたティピカが主であり在来種ではない。
ハワイ州ハワイ島コナ地区、カウアイ島、マウイ島
Kona, Kauai , Maui
アメリカ合衆国の島々
コーヒーがはじめてハワイに移植されたのは1813年のことである。ウイスキー製造業者マーリン Don Paulo Marin の栽培は残念ながら失敗だったようだ。これはおそらくはプランテーション立地の不適切によるものだろう。
1825年にはウィルキンソン Wilkinson がリオデジャネイロ Rio De Janeiro で獲得した多数の苗木をホノルル周辺部で試みた。カメハメハ二世大王夫妻の病死の直後のことである。これはうまく育ったと言えるだろう。しかし1827年に栽培者が死亡したためこれらのコーヒーは無人のままの農園で収穫の時期をむかえることになったという。
翌1828年、ラグレス Reverend Samual Ruggles がホノルルの苗木をマウナロア Mauna Loa 火山西部の斜面にある自分の土地に持ち帰った。このコーヒーは当初は趣味的に植えられたものに過ぎなかった。特に風変わりな庭木として人気を呼び樹数を増やしながらも商業生産にはなかなか結び付かなかったようだ。海抜500フィート以上の地域の一帯での気候的特徴は極めてコーヒー栽培に適したものであり、短期間のうちに実質的なコーヒー栽培区域を形成した。これがコナである。斜面では午後の強い日差しはやわらげられ、雨は適切に降り排水能力も優れていた。
最初の商業栽培は1842年のカウアイ Kauai 島のハナレイ Hanalei 谷においてである。これは成功のうちに1845年の初の輸出 (145ポンド) を記録したが、1855年の旱魃と病害に対処しきれず農園の閉鎖に追い込まれた。
この栽培成功を機会としてコナ及びマウイ Maui での商業生産が開始され現在に至る。
ハワイアン・コーヒーの格付け基準は以下の通りである。農務省査察官により精製されたコーヒーは合格証を発行され、流通される。
ほかに農園限定品 Estate Reserve が設定されていることもある。
コナではブラジルに由来する苗木に換えてグァテマラ産のティピカを導入、価格の低迷や高人件費に悩みつつも今日に至る名声を獲得している。マカデミア・ナッツへの転作、オーガニックへの取り組み、日本企業の農園取得などの話題がある。
最近ではグレード証明の大がかりな偽造事件が発生してコナ・コーヒーの流通が一時は完全に停止する事態にまで陥った。訴訟は長引くとみられるが、詳細な情報はなかなか入手が困難である。
カウアイではコーヒー栽培は初期に壊滅しているが、最近になって A&B 社 (Alexander & Baldwin, Inc.) による農園新設と生産再開が開始されている。高名なコナとの最大の差異は栽培品種であり、カウアイでは伝統的なブラジル由来のカトゥーラが生産されている。また完全水耕栽培という技術的な新しさもある。
ペルー共和国
The Republic of Peru
首都 リマ
主要言語 スペイン語
通貨 ヌエボ ソル
1821年7月28日にスペインより独立。現在は大統領制民主主義国。南米ではもっとも古くより日本と国交を保ち、日系移民も多い。
地理的には南米中央、太平洋側に位置している。国土は性格のことなるいくつかの地域に分断されていて、それぞれの地域特性に即した産業や生活の傾向が明確に認められる。
中央を縦断するアンデス山脈の土地 (シエラ) では土壌、気候的に農業が難しく、また人口の稀少さからも開発の全般が遅れている。高所では日常食としての在来作物、トマト、落花生、さつもいもやトウモロコシなどが栽培されている。(ついでに言えばこれらの作物の原産地である。)
山脈の西側の南北に続く海岸地域は砂漠化した土地 (コスタ) であり、アンデスの降雨に由来する点在するオアシスを中心として都市や農業が発達している。当然それらは集約化が進んだものとなり、効率は良い。首都リマはこの点で顕著であり、流通の最大の中心地ともなっている。
東北部の広大な森林地帯 (セルバ) は大部分が未開である。原住民を中心とした人口は多いが、石油資源を除く開発は立ち遅れている。
コーヒーの栽培はスペイン統治の時代に遡る。重要な輸出商品に成長したのは近年であるとはいえ、生活の習慣としてのコーヒーは他の国に劣らず浸透している。現在では輸出農産物としてのコーヒーの価値は非常に高まり、綿花や鉱山資源、海産物に匹敵する商品である。
栽培品種は隣接するブラジルからのカトゥーラの移植が多いと思われる。
栽培地域は山岳地帯の 700 〜 1,500 メートルの区域に点在し、中南部で盛んである。1,000 メートル以上の土地の産出品を良質とするとする考えもある。クスコ (Cuzco) 、チャンチャマイヨ (Chanchamayo) などの地名がよく知られているが、新規の開発はなお続けられており、オーガニック・コーヒーへの取り組みも注目されている。
精製方法はナチュラルとウォッシュトがどちらもある。格付けの基準は選別手段によるという方法を取っているが、これはめずらしい。
日本でのペルー・コーヒーの使用はどちらかと言えばブレンド主配合としてであり、強いて例えれば「水洗ブラジル」のような扱いを受けている。グレードも MCM が大半と思われる。最近になってオーガニック・ペルーがアメリカ市場に続いて日本でも現われてきているので、この傾向がわずかに変化することも考えられる。
流通は生産者が個々に栽培したコーヒーを農協や輸出業者が集荷し、選別から輸出までを行う形態であり、政府機関であるコーヒー委員会 (JNDC, JUNTA NACIONAL DE CAFE) がこれらを管理する。
インドネシア共和国
Republic of Indonesia
首都 ジャカルタ
主要言語 インドネシア語
通貨 ルピア
一万数千を数える大小の島よりなる最大の群島国家。赤道の南北に広がる火山性の島々といえばおおまかな想像は出来るだろう。肥沃で標高差の激しい大地、熱帯とモンスーン。住民はマライ族をおもに300以上もの種族に分かれ、言語的、宗教的にも多様である。
かつてはヒンドゥーや仏教の王国が繁栄し、14世紀にマジャパヒト王国により統一。16世紀にイスラム化されて現在もイスラム教が多数派となっている。
17世紀にはオランダ (東インド会社) による植民地化が行われ、現在の社会基盤の大半がこのとき築かれる。また大戦時の日本軍占領を機に独立、近年のクーデター未遂と鎮圧により現スハルト体制となっている。
※スハルト政権は1998年に崩壊した。しかし政治的本質に変化は見いだせない。
オランダがヨーロッパ資本による初のコーヒー貿易に着手したのは1640年に遡る。1669年及び1699年にマラバール (インド) よりジャワへと苗木が移植され、1711年のアムステルダム輸出によって世界へのコーヒー拡散の時代が開始されるのである。※
※ 中米コーヒーの遺伝的起源とされるフランス植民地マルティニックに植えられた苗木 (今日はこれに由来するカテゴリーをティピカという品種名で呼称する) はもとはジャワ島よりアムステルダム博物館に伝えられたもの。ティピカからはまたブルボンが生まれ、これも各地に広がっている。
オランダはジャワ総督との契約を通じて植民地でのコーヒー栽培に砂糖キビ、胡椒なみの強制栽培制度を導入している。この件は興味深いがほかの項目にて説明されているので、ここではなるべく略したい。
インドネシアでのコーヒー栽培は他の作物に比べて比較優位にあり、国際価格の低い時期においてさえ魅力が高い。大戦時における荒廃と収量減を補うために政府は新規の植樹や植え替えに対する新品種の苗木の提供、農園整備に対する補助金の交付や海外資本の誘致などの策を取っている。また他の生産国のような自然災害、国情不安などの負の要因が少なく豊作が続いている。その甲斐あって現在の生産量はブラジル、コロンビアに続く世界第3位にまで増えている。
問題点は生産量、面積の95%以上が小規模農家によるものであり、国営や企業によるエステートが非常に少ないことであるが、これは前述した植民地政策の結果として固定されたものである。大規模栽培のメリットは一部の地域が享受しているに過ぎない。
商業省貿易局は実際、政策を決定し実行するけれども流通に介入することはあり得ない。実質的にはインドネシアコーヒー輸出業者組合 (AICE, Association of Indonesian Coffee Exporters; 現地名 AEKI) がすべてを管理する。流通機構は各地区ごとにまちまちで複雑であるが、おおむねは次のようにまとめられる。
つまり国立エステート (PTP/PNP) から直接に輸出業者へ、または仲買人に売却される。
民間農園からは仲買人への売却がほとんどである。小規模農園の場合、これがもっとも多数になるわけだが、各地の協同組合を通じて、または直接に仲買人に売却される。仲買はこれを輸出業者や国内ロースターに売却するのである。
非常に多くの部分が仲買人という立場を経由して流通していることが特徴的だろう。AICE の内部の規制は国内流通において働かない。そしてここにはかつて多くの利権が集中した。仲買人はスルタンや地方名代の手を離れて、今ではコーヒー取引所あるいは華僑商人にゆだねられているのだが、零細なままに置かれた農民が統率されるためにはまだこのような制度の存在が求められているということである。
インドネシアではアラビカ、ロブスタの両方が生産され、また水洗、非水洗の両手法が採用されているが、格付けにおいては共通の基準による欠点法である。欠点は黒豆、小石を1として10段階ある。ロット・サンプルごとの決点数によりグレードが決まる。輸出基準は GR-1 から GR-3 までだが、これは慣例によるもの。特に制限があるわけではない。
また通常の欠点法による格付けと平行した規格が存在している。いわゆる取り引き名称に当たり、生産地や精製法などを示すものだ。規格によっては欠点法による格付けと連動する部分がある。アラビカの有名銘柄はこの規格に属するものであるので、ついでに詳細な説明を行いたい。
アラビカのほとんどは GB である。一部の島では WIB も存在する。主な栽培品種はスマトラ。
このような分類が普及した結果、ブラジル、コロンビアに比べて地域名と特徴が割と良く知られている。
メキシコ合衆国
United Mexican States
首都 メキシコシティー
主要言語 スペイン語
通貨 ペソ
北米南部の高原と砂漠の国土を持つ。コーヒーの移植は18世紀末にまでさかのぼるが、本格的に農園が整備されたのは20世紀に入ってからという。しかも大戦後は石油産業を中心とした工業化を指向するため、大産地でありながらもコーヒーそのものに対する依存度はそれほどではない。
メキシココーヒー院 (INMECAFE,INSTITUTO MEXICANO DEL CAFE) の指導のもとに精製業者が集荷から輸出までを行う。等級は以下のようになっている。
産業のほとんどの分野での合衆国依存が強いこともあって、最大の輸出先はUSAである。また特筆すべきことは、近年の有機栽培コーヒーの広がりの開始点となったのがこのメキシコでの試みであるということである。
グァテマラ共和国
The Republic of Guatemala
首都 グァテマラシティー
主要言語 スペイン語
通貨 ケツアル
中米ではどこでもそうだが、グァテマラもやはり現代への困難な道を経験している。1524年のスペイン占領以来、19世紀の前半の中米諸地域の混乱に巻き込まれつつも、1839年に独立、1847年に現在の共和国が成立した。コーヒーの商業化は19世紀の後半にキューバから苗が移植されてからだが、はじめて導入されたのは18世紀末か19世紀初頭のことだろう。この時期、スペイン政府が中米植民地でのコーヒーの生産を試みている。
本格的な商業化が独立後のことであるということはひとつの幸運でもある。グァテマラのコーヒー産地は地形的にコーヒーしか作ることができない。だがそれが植民地的悲惨の産物であったとすれば、社会的にも「コーヒーに縛られる」ことになったのかも知れないからだ。事実として現在の生産は「他に産業がない」状況によって維持されている。
グァテマラの南半分、太平洋に接する地域はシエラ・マドレ山脈の一部をなしていて、残りの北半分のメキシコとベリーズにはさまれた部分は高原である。いずれにしろ農業の大規模化に向いた土地ではなく、地震などの被害を被ることも多い。だがこの地形的特徴はコーヒーの生産にだけは非常に好都合であるといってもいいだろう。コーヒーはほぼ全域でほとんど人手によって作られている。
年明けに花が咲き、7〜8月頃から年内いっぱい、各地で順に果実が手積みされる。中米全体にもいえることだが、農園は家族経営が大半である。彼らは収穫から水洗処理までを一貫して行い、パーチメントで売り渡す。またこれを買い取る輸出業者もそれほど大きな組織ではない。このためコロンビアやブラジルなどの大生産国のコーヒーに比べて、ロットごとのばらつきが目立ちやすいことが特徴だ。ロットのすべてがひとつの農園での収穫に由来することも珍しいことではない。グァテマラで生産されるコーヒーはブルボンかその変種、例えばパーチェなどがとても多い。
主要な産地はサン・マルコス、ケサルテナンゴ、スチテペケス、サンタローサ、チマルテナンゴ、エスキントラ、アルタ・ベラパス(コバン)、アンティグア..などといわれているが、品質的に平均化してしまった現在ではこれらの事実上の違いは高度差くらいである。例えば有名なアンティグアは全体が 5,000 フィートを越える産地である。後述するように高度差は等級に反映されているので、産地名が取り引きの重要な指標となることは少ない。
輸出業者はグァテマラシティーを中心にいくつかがあり、たいていが精製設備を自前で所有している。農家より買い取られたパーチメントは精製、選別をされ、9〜10月より船積みが始まる。輸出は次のシーズンまで絶え間なく継続する。
等級は高度差のみによって付けられている。
コーヒー機関には CONCEJO DE POLITICA CAFETALENA (コーヒー政策諮問機関) 及び実行機関としての ANACAFE (ASOCIACION NACIONAL DE CAFE, 国立コーヒー協会) がある。
現在のグァテマラはコーヒー収入の安定化をはかると同時に、農業の多角化、非農業化をも同時に進めている。例えば、バナナ、木材、砂糖。それから石油と工業である。それらの政策はかろうじてうまくいっているとはいうものの、コーヒーが最大の産業である状況には依然として変わりはない。
パプア・ニューギニア
Papua New Guinea
首都 ポート・モレスビー
主要言語 各種部族語、現地英語
通貨 キナ
ニューギニア島東部を中心としたオーストラリア北部の群島国家。イギリス (及びドイツ) の旧植民地である。1931年のオーストラリア連邦結成時に統治化に置かれ、1975年にイギリス連邦加盟の立憲君主国として独立した。
気候は熱帯であり、雨期と乾期がきわめて明確に分かれている。温暖でコーヒーをはじめ、動植物の生育にはきわめて適している。大部分を占める未開発地は未発見種の最後の宝庫とされる。
コーヒーの栽培が開始されたのは19世紀の末頃と考えられている。商業的な栽培が試みられたのは1930年代になってからであり、本格的な植樹は1950年になってからである。
新しい栽培地では普通はブラジルなどで開発された優秀な苗木を購入するか、近隣の栽培国からの移植を行う。ニューギニアの場合は珍しいケースになる。おそらくは英連邦のからみであろうが、ジャマイカのブルーマウンテン地区からの種子の導入を行っている。このためインドネシアやアジアのほかの国々とはタイプの違う独特のコーヒー生産が行われている。栽培品種は大半がアラビカであり、精製方法は水洗式である。
栽培地は高地のゴロカ (Goroka) 、マウントハーゲン (Mt.Hagen) と連なる山脈地帯の周辺であり、交通の比較的発達している地域である。ほか生産地名としてバンツ (Banz) 、カイナンツ (Kainantu) 、ワウ (Wau) などが知られる。高度はおよそ 3,000 - 6,000 フィートである。輸出港はレイ (Lae) 。収穫期は 5-8 月。
ロブスタもあまり重要ではないが生産されている。主要な産地はセピク (Sepik) 、モロベ (Morobe) などの低地である。
格付けはサイズと欠点、異物の混入率で決定される。
商品名としての PNG Blue Mountain や Paradice は有名である。
中華人民共和国
People's Republic of China
首都 北京
主要言語 中国語
通貨 元 (非貿易通貨)
コーヒー栽培の歴史の新しい国。1920年にインドネシアよりロブスタを移植。1950年にはアラビカを近隣のいずれかより導入。極小規模に栽培試験を続ける。文化大革命と1980年代の改革のそれぞれの時期において拡大される。
栽培は北回帰線直下の雲南が中心で海南、上海にも施設がある。コーヒーの商業栽培地域としては北限になり安定的な産地として考えることは難しい。また台風の被害も多いという話がある。味は個性に乏しく平坦である。
1990年にアルバニアへの輸出を実現している。また北京や香港にも供給している。シンガポール企業がハワイに輸出したこともある。
タンザニア連合共和国
United Republic of Tanzania
首都 ダルエスサラーム
主要言語 スワヒリ語
通貨 タンザニア・シリング
アフリカ中央東岸に接する高原部 (タンガニイカ) はポルトガル開拓、ドイツ植民、イギリス信託統治領、 1961年民族革命の歴史を持ち、またザンジバル諸島はサルタン・サイード支配の貿易国、イギリス保護領、1963年君主国として独立、翌年のクーデターという歴史を持つ。タンザニアは両国の合意による連合共和国であり、ザンジバル諸島の共和国化に続いてまもなく成立している。名称はタンガニイカ、ザンジバル、アザニア (文明) などにもとづいた合成語である。
気候は熱帯性の多湿な湾岸部とサバンナに支配される内陸部とがなだらかにつながる。また北東のケニア・キリマンジャロから南部に伸びた山岳部の斜面地は十分な降雨が見込める農耕地帯となっている。タンザニアはこの地域での耕作がほとんどの生産高を占める農業国である。コーヒー以外の生産物にはサイザル (麻) 、綿花などが主要である。
同国がコーヒー生産に適した土地にあることは、コーヒーがもともとわずかながらも自生していたという事実からもあきらかだ。作物としてのコーヒー生産の開始は17世紀頃にコンゴより由来してのことらしい。しかし現在の北部プランテーションが建設され輸出作物化されたのはあたらしくもドイツ植民地政策の帰結としてであり、しかもその成果が重要輸出産品として結実したのはようやくイギリス統治時代において、さらに現在のように安定的になったのは最近の共和国政府による農業を主体とした社会主義政策のたまものに他ならない。高名なキリマンジャロ・コーヒーはけっして元からあったわけではないのだ。
タンザニアのコーヒー政府機関 CAT (Coffee Authority of Tanzania) は輸出統制機関であり、旧 TCB (Tanzania Coffee Board) より発展したものである。これは輸出を全面的に統括し、同時に品質や価格などの調整を担う組織である。
小規模農園に産出するコーヒーは組合により集荷されて、共同設備による精製を受ける。また大規模な農園においては設備はたいてい併設されている。水洗処理を受けたコーヒーのすべてが CAT 傘下の TCC (Tanzania Coffee Curring Co.Ltd) に納入され、パーチメントの脱穀と格付けが行われる。これを CAT が Moshi でのオークションを通じて登録輸出業者に分配するのである。あるいはオークションを通さずとも CAT から直接に買い付けることも可能という。タンザニアとの因縁があるドイツに対して大量のコーヒーが流れることがしばしばあるが、これはこのルートを通じてのものらしい。
格付けについては以下の通り。
なお実際に多くの需要が見込め、生産・輸出されているものはサイズでは B 以上であり、品質では FAQ である。これら以外のものが取り引きされることは非常に少ない。つまりFAQ の AA が通常品と考えるのがよい。
栽培されている品種は自生のモカではなく、ドイツ時代に移植されたブルボン系の苗木の子孫のようだ。
コロンビア共和国
The Republic of Colombia
首都 ボゴダ
主要言語 スペイン語
通貨 コロンビア・ペソ
16世紀にスペイン植民地となる。1819年に独立革命に成功して、グラン・コロンビア共和国が成立。1830年にエクアドル、ベネズエラが分離してヌエバ・グラナダに改称。1886年にコロンビア共和国となる。国土は大部分がアンデス山脈の北端部分に属し、1,000m以上の山脈または高地である。気候は 7〜18℃に安定した常春である。このような山岳の国では中間高度の過ごしやすい土地に都市が形成される。都市には裕福な市民が集まり、標高のこれより低い土地に貧困なものが住む。高いところはそもそも居住に向いていない。だから住んでいるところの高さによって暮らしむきは判別できるともいわれる。
アンデスの三つの尾根が並行し、かなり凸凹していて、都市向きの土地はてんてんと散らばる。東南部は平地でアマゾン川に接する。土壌は全体的に肥沃で弱酸性。斜面地が多くて水はけも良い。コロンビアは広大な農業国である。
コロンビア・コーヒーの起源にはさだかではないが、ベネズエラ方面を経由して仏アンティールに起源するといわれる。有力な説によれば、最初のコーヒーはコロンビア東北部の教会で植えられたらしい。1736年 (一説では1808年とも) に種子は南西部のポパヤンに運ばれて、地元の修道院内で育てられた。コーヒーの最初の商用の生産の始まりは独立直後の1835年、その年に最初の輸出記録があるという。1850年よりコーヒーは他の地域へも広がりを見せ、20世紀までには南北を結ぶアンティオキア鉄道の敷設も手伝って、ほぼ全土に拡大した。このころコーヒーはちょうど世界への普及がピークとなった時期でもあり、貧しい農業国であるコロンビアにとってはもっとも有望な産業とも捉えられたのだろう。いずれにしろ、もはやコロンビアとコーヒーは切り離すことの出来ない関係である。
コロンビアは世界でもっとも重要な産地のひとつである。産出量はブラジルについで多いが、相対的に需要も多い。適度の酸味とコク、バランスの良さから単品でもブレンドでも個性的なコーヒーを作るのに重宝する。だからクォーター制のなくなった現在でも、不作の年などはコロンビア・コーヒーはもっとも手当の難しいアイテムになりかねないのである。国内の保留分などはたいした量ではないし、購入できる豆がほとんどすべてニュークロップであるというのも頷ける。
メデリン、アルメニア、マニサレスはかつてはM.A.M.'Sと称され、最高品質の産地とされていた。いまも優良な産地であることには変わりがない。しかしこれらの北部の大産地は、品種改良の進展による味覚面での品質悪化が問題となってきているという。バリエダ・コロンビア種の特徴は別の項にゆずるが、むしろ古くからの産地である南部の地域における小規模な農園では伝統種であるティピカが多く残っていて、かえって高い評価が付いているほどである。ポパヤンやその他の産地、特定農園ものは価格も高い。もっともこれはそれぞれの農園ごとに条件もことなるものであり、地名だけでコーヒーを買うことはない。どこの産地国でも同じことは言えるが、コロンビアの場合は特にばらつきが目立つものである。
ほかにボゴダ、トリマ、ククタ、カリなどの各産地もよく知られている。これらは品質的な差異は現在まったくなくなっていて、中程度の品質を保証するものとだけ知っておけばいいだろう。
コロンビア・コーヒーはすべてウォッシュト(水洗式)である。農園ごとに収穫、果肉の除去、水洗処理、乾燥を行いパーチメントにされる。その後、輸出業者(シッパー)がこれを買い付け、脱穀し、選別し、袋詰めを行う。麻袋に詰められたコーヒー生豆は、輸出前に FNC(Federacion national de cafeteros de Colombia; コロンビア国立コーヒー生産者組合)の下部機関である ALMACAFE の品質検査を受け、輸出登録書の発行を受ける仕組となっている。輸出業者はほぼ自前で脱穀と選別を行うが、専門に請け負う企業も多く存在している。
選別は比重選別とハンドピック、スクリーン選別が行われ、サイズがスクリーン13以下は国内消費用、17以上を80パーセント以上含むものをスプレモ(SUPREMO)、14以上の無選別品をエキセルソ(EXCELSO)とする。カップテストは通常は行わないが、FNC が認める場合には行い、合格品はエスペシャル(ESPECIAL)などの呼称を冠する。誤解の多いことだが、特別な商品(PREMIUM)以外の普通品はカップテストに不合格のものではなく、カップテストを受けていないものなのである。明確に劣るわけではない。
コーヒーに関わる全般の業務を行う機関が先にも出た FNC で、法的には民間団体、実質的に政府所属の組織である。中央銀行を想像してみれば理解しやすいだろう。FNC は輸出登録を希望するコーヒーをロットごとに検査し、グレードの一致を確認する。ついで輸出登録書を発行し、すべての登録品に関税を課す権限を持っている。
また FNC はコーヒー買い上げの義務を負う。コーヒーの買い取り基準価格を提示し、その価格での買い取りを希望するパーチメントはすべて買い取らねばならない。買い取ったパーチメントは国内供給のためにロースターに売却するか、管理倉庫にプールするか、輸出業者に売却されるかする。この方法を通じて FNC はコーヒーの価格と流通量、品質のすべてを一元的にコントロールすることが可能になる。買い取り価格が低ければ、農民はより高く輸出業者に売却するために品質の向上をめざすか、あるいは転作する。高ければ流通量そのものを倉庫へのプールによって減らすことも可能になるし、一定の生産能力を確保し、または管理能力そのものの強化ともなり得る。FNC が直接輸出を行うケースもある。この場合、 FNC がスクリーン・サイズをそろえることはない。だから豆はすべてエキセルソであることになる。
またマーケティング、研究、統計などの業務も行っている。FNC の特に日本での強力なマーケティング活動は有名だ。研究活動についても積極的である。中米やその他の産地国の中央コーヒー機関の活動はFNCとも協調しており、世界一の水洗コーヒー産地国としての強力な体制を整えている。
ベトナム社会主義共和国
Socialist Republic of Vietnam
首都 ハノイ
主要言語 ベトナム語
通貨 ドン
フランスの支配と日本の占領を経て独立。社会主義政権樹立をめぐり内戦と分裂の歴史を持つ。1976 年に南北統一し次第に民主化も進む。
コーヒー農園や道路などの設備は植民地時代に原型が作られている。独立後にはそれらはすべて国営または州の施設となるが、近年では民間企業による再開発も行われ外国資本も受け入れている。
栽培種の大半は戦後に中央アフリカから導入されたロブスタ。これは輸出産品として生産されるものであり、大規模工場で水洗精製されている。また輸出が認められるのも名目上はこの水洗ロブスタだけである。輸出先は距離の近い大消費地である日本、政治的な関係の深い旧ソ連とフランスが挙げられる。
アラビカは栽培初期にアナンから持ち込まれたものや後にインド、中国から輸入したものの子孫。さらに遡ればこれらはキューバ、ブラジルに由来するものである。生産量は少ない。まだ輸出段階ではないとされるが、近代農場での生産はすでに軌道に乗りつつある。
国内で自主流通するコーヒーには、細々と庭先で作られるリベリカ、エキセルサというものもある。
輸出と国内向けを合計した全体の生産量は非常に多くインドネシアを抜いて世界第三位となった。これは国策として奨励していることもあるが、何よりも国内消費の大きいことが理由である。植民地時代の飲用習慣が根付いているのだ。
ベトナムでのコーヒーの飲み方は独特でベトナム式とも呼ばれる。真黒に煎りあげたものを、今日では他では見られなくなったような旧式の金属フィルターで濃くドリップする。それを加藤練乳と半々で供するのである。そのような屋台も多く出ているそうだ。
※カラメルを添加することもある。
ジンバブエ
Zimbabwe
首都 ハラール
主要言語 英語
通貨 ジンバブエ・ドル
元英領ローデシア。社会主義革命により独立して「石の家」の名を持つ現在の国家となる。1%の白人が99%の黒人を支配する人種差別政策により孤立していたが、国際的な政治的包囲により1980年に是正。20世紀初頭より開発されていたコーヒー栽培もこの時に ICO 加盟が認められたことでようやく日の目を見ることとなった。
栽培地は東側のモザンビークとの国境に近い高地で行われ、首都ハラール近辺で精製されて陸路で輸出される。大半がアラビカで品種はブルボン系のカトゥラ、カトゥアイとカティモロ。それにブルーマウンテン。狭い農園ながらブラジルの倍以上という高収穫効率で生産量は多い。
輸出向けは水洗式の Mainly がほとんどだが、非水洗の M'Buni も作られている。格付けはサイズ、カップ、精製度で行われる。輸出規格ではスクリーン17以上、異物を含まず異味異臭のないことが条件として設定されている。標準品ではやや小粒でピーベリーが多くなるが味の問題はそれほどない。
4年間住んでいたアパートを追い出されました。理由は台所でコーヒーを焙煎したこと。コーヒーの煙 (つまり何かの微粒子) が建物に付着すると言われました。契約書の禁止条項である悪臭や騒音の発生の禁止、建物の損壊に該当するというのです。そして一方的に契約解除を通告され、さらに何の保証もないし、敷金も全額没収すると付け加えられました。恐るべし、サザンヒルズ (アパート名) 。
しかし反論の余地はありました。そもそもこの禁止項目は、いわゆる「近所迷惑行為」を指すもののはずだからです。近所のどこからもクレームなんて来ていないし、そもそも大家は近所の住人でもないし、近所の誰がどう迷惑したのか。また建物の損壊だという主張にも通常の使用範囲であると返せます。
実はこれには前話があり、最初は家賃の値上げを要求されました。問題のある金額ではなかったのでこれを了解したところ、その翌日になって、コーヒーの焙煎をやめてくれと言われました。仕方がないと思い、これにも無条件で同意しました。どこか他の場所でやることも検討可能だったからです。そうしたらそのまた翌日には出ていけと本音を吐いたわけです。じゃあその前までの話はいったい何だったか、黙って約束までしたこちらの誠意はどうなるのか。
そういうわけで本気で争う気になって、弁護士を頼む直前まで行きました。でもやめときました。こういう大家ならさっさと手を切るのが賢いですから。相談に行った先でもそう言われました。
私の場合はともかくとして、街中の多くのコーヒーショップが悪臭、近所迷惑の声にさらされているのも事実。公害には違いないですから、気を付けるに越したことはありません。
後日談
引っ越しが終わってから法律に詳しい人に聞いてみたところ、まあ争って負けることはなかったそうです。敷金も全額返してもらうのが当たり前だったし、それ以上のものも取れたはず。でも自分の意志で退去してしまった後になってからは、どんな保証も難しいんじゃないかということらしいです。居座ってやるのが得策だったみたいです。
それと近所からのクレームがあったとなれば話は別。今回はなかったけれど、もしそういう声があったなら、こちらが不利なことにもなったらしい。いちおう相手にも法律の専門家はついているはず。隙を見せたほうが負けなんです。
(これは2001年春の記録です)
松山に旅行してきました。
「ライン館」は観光ガイドにも掲載されている有名な喫茶店。コーヒーぜんざいをいただいてきました。メニューを指してどんなものかを尋ねたところ、アイスコーヒーとアイスクリームとバニラエッセンスとあずきをこんなふうに (ト手を怪しく動かす) 合わせたものですとの説明。すごく不安になりましたが、実においしかったです。背の高いグラスに入れられたところもきれいでした。きれいなお店で、ハキハキした従業員にも好感を覚えました。カウンターに据え付けられた立派なエスプレッソマシンがよく目立っていました。この次はぜひとも飲んでみたいものです。
「ドトールコーヒーショップ」はこちらではまだまだ知られない存在です。銀天街にオープンした松山一号店。内容は説明するまでもない..。アーケードの商店街で角地に当たる立地。はっきりいって場所は最大限にめぐまれたところ。奥まで見通せるうなぎの寝床の店内は DCS の基本のレイアウトを活かすものになっていると思います。客はよく入っていました。こちらでは競合するベローチェやプロントなどがまだないだけではなく、そもそもコーヒーショップと呼べるような店が珍しい。人口が少ないことは大目に見ても開店はある意味で冒険だったのではなかろうか..。成功して良かったですネ。他の立ち飲み型ショップとの大きな違いである物販コーナーに大きく場所を割り当てるスタイルもこの店鋪には有利に働いているようです。
「珈治伊」は実はぼくの会社の生豆販売の顧客でした。今回はまったく個人的な旅でしたので身分は隠したまま入店しました。そのときぼくは道に迷っていたところ。地図までいただいて親切にしていただきました。地元の常連客でにぎわう普通の喫茶店で、よくにぎわっています。コーヒーは飲みやすく新鮮なものでした。
砥部で入った「ゆうゆう亭」はおいしい食事の出来る店。四国の料理や特産の食材を活かした料理がでます。ここの食後のコーヒーはなぜか砥部焼きの徳利に入ってサーブされます。徳利珈琲。そのこころを尋ねたところ、遊び心ですと言われました。明解な答えです。
「東亜珈琲館」はこちらではもうずいぶんと長く営業している店です。アーケード街の横道にあります。メニューやコーヒーの味は東京の東亜とまったく同じでした。常連客の通う店になっているようです。松山の喫茶店はどこに入ってもなぜかみんなサイフォン抽出。東亜もストレートはサイフォンのはずなので、あえて点て置きのストロングコーヒーを注文しました。案外、こちらのサイフォン流行りの元はこの店かも知れないな..と思いながら。
「なも」は道後温泉の商店街で唯一の洒落た店。観光客の立ち寄る喫茶店です。インテリアはすべてハンドクラフトの重厚なものです。天井は高く間取りも余裕たっぷり。居心地がとてもいい。メニューもじゃこ天サンドなどの変わったものがありました。コーヒーもなかなか良かった。
2000.4.8 京都を訪問。春の高瀬川は花満開で最高です。
火事で消失して、ようやく再生した老舗のイノダ。接客はうわさに違わず、すばらしかったです。ケーキがしっかり甘かったことがうれしかったです。
販売しているオリジナルのドリッパーはふたつ穴だと思っていたのに、三つ穴のものもあると知りました。
日本で初めてエスプレッソを導入したちきりや。
カラオケスナック的な内装の店内ですが、カウンターには年代物のガジアが鎮座していました。
デミタスにまるまるいっぱいのエスプレッソは違和感を感じますが、40年前であれば、適正な量で売ることは難しかったのだろうなと納得です。
砂糖をたっぷり入れるとあふれるので困ります。コーヒーがやけに熱いことも現在の主流ではありません。
マシンは大型ボイラー内蔵のレバー式でした。ボイラーの制御は圧力弁のみで電子制御なし。圧力計を見ながら蒸気を開く古典的マシン。
豆はマシン導入時に国内ロースターに工夫させたものといい、ロブ入りの極深煎り。いかにもイタリア風のコーヒーのイメージで、本物とは若干ことなります。でもおいしかった。
このようなエスプレッソは過去にもそしてこれからも他にはないもの。ゴーイング・マイ・ウェーなエスプレッソ店でした。
加茂川を望む好立地のスターバックス新店ははやりそうです。カフェ・モカにシナモンを入れて川べりを散歩。
進々堂は大テーブルのみのゆったりとしたぜいたくなレイアウト。100 席くらいありましたかねえ。学食みたいな雰囲気の普通の喫茶店なのです。
居心地がよくくつろげる雰囲気でした。手描きポスターややぶれたメニューは大手チェーンではできないですね。スーパーバイザーが激怒するでしょう。
出町輸入食品に驚きました。ここははっきりいって汚くて、他にも安い店や品揃えのある店なによりも清潔な店はたくさんあるのに繁盛してる。
店先のディッティングでどかどかと粉砕して袋詰めしているので香りにつられて客が入るのかも。垢抜けなさをスタイルとして確立しています。
フィンランド産チーズ leipa juusto (Juustoleipa) を試してみたくて、いろいろと探してみた。
これは主にデザートに食べるチーズで、こまかく切ってコーヒーに入れる習慣もあるというもの。
残念ながら国内では見つけることができなかった。アメリカのサイトでようやく発見したが、日本から注文できるかどうかは不明。
夏目漱石の作品に登場する珈琲と紅茶
「うん。??給仕紅茶を持つて來い」
「僕はコフィーを飮む。この豚は駄目だ」と甲野さんはまた女を外してしまふ。
「これで何遍逢ふかな。一遍、二遍、三遍と何でも三遍ばかり逢ふぜ」
「小説なら、これが縁になつて事件が發展するところだね。これだけでまあ無事らしいから……」と云つたなり甲野さんはコフィーをぐいと飮む。
「これだけで無事らしいから御互に豚なんだらう。ハハハハ。??しかし何とも云われない。君があの女に懸想して……」
「さうさ」と甲野さん、相手の文句を途中で消してしまつた。
「それでなくつても、このくらゐ逢ふくらゐだからこの先、どう關係がつかないとも限らない」
「君とかい」
「なにさ、そんな關係ぢゃないほかの關係さ。情交以外の關係だよ」
「さう」と甲野さんは、左の手で顎を支へながら、右に持つたコフィー茶碗を鼻の先に据ゑたままぼんやり向うを見てゐる。
「ハハハハ面白い事があるんだよ。絲公……」と云い掛けた時紅茶と西洋菓子が來る。
「いやあ亡國の菓子が來た」
「亡國の菓子とは何だい」と甲野さんは茶碗を引き寄せる。
「亡國の菓子さハハハハ。絲公知つてるだらう亡國の菓子の由緒を」と云いながら角砂糖を茶碗の中へ抛り込む。蟹の眼のやうな泡が幽かな音を立てて浮き上がる。
「そんな事知らないわ」と絲子は匙でぐるぐる攪き廻してゐる。
「そら阿爺が云つたぢゃないか。書生が西洋菓子なんぞを食ふやうぢゃ日本も駄目だつて」
四人が席を立つた時、藤尾は傍目も觸らず、ただ正面を見たなりで、女王の人形が歩を移すがごとく昂然として入口まで出る。
「もう小野は歸つたよ、藤尾さん」と宗近君は洒落に女の肩を敲く。藤尾の胸は紅茶で燒ける。
奧さんは手に紅茶茶碗を持つたまま、笑ひながらそこに立つてゐた。
「ここは隅つこだから番をするには好くありませんね」と私がいつた。
「ぢゃ失禮ですがもつと眞中へ出て來て頂戴。ご退屈だらうと思つて、お茶を入れて持つて來たんですが、茶の間で宜しければあちらで上げますから」
私は奧さんの後に尾ゐて書齋を出た。茶の間には綺麗な長火鉢に鐵瓶が鳴つてゐた。
私はそこで茶と菓子のご馳走になつた。奧さんは寢られないといけないといつて、茶碗に手を觸れなかつた。
私はまだその後にいふべき事をもつてゐた。けれども奧さんから徒らに議論を仕掛ける男のやうに取られては困ると思つて遠慮した。奧さんは飮み干した紅茶茶碗の底を覗いて默つてゐる私を外らさないやうに、
「もう一杯上げませうか」と聞いた。私はすぐ茶碗を奧さんの手に渡した。
「いくつ? 一つ? 二ッつ?」
妙なもので角砂糖をつまみ上げた奧さんは、私の顏を見て、茶碗の中へ入れる砂糖の數を聞いた。奧さんの態度は私に媚びるといふほどではなかつたけれども、先刻の強い言葉を力めて打ち消さうとする愛嬌に充ちてゐた。
私は默つて茶を飮んだ。飮んでしまつても默つてゐた。
食事中父は機嫌よく話した。然し用談らしい改まつたものは、珈琲を飮む迄遂に彼の口に上らなかつた。
別室には珈琲とカステラとチョコレートとサンドイッチがあつた。普通の會の時のやうに、無作法な振舞は見受られなかつたけれども、それでも多少込み合ふので、女は坐つたなり席を立たないのがあつた。三澤と彼の知人は、菓子と珈琲を盆の上に載せて、わざわざ二人の御孃さんの所へ持つて行つた。自分はチョコレートの銀紙を剥しながら、敷居の上に立つて、遠くから其樣子を愉しむやうに眺めてゐた。
三澤の細君になるべき人は御辭義をして、珈琲茶碗丈を取つたが、菓子には手を觸れなかつた。所謂「もう一人の女」は其珈琲茶碗にさへ容易く手を出さなかつた。三澤は盆を持つた儘、引くことも出來ず進む事も出來ない態度で立つてゐた。女の顏が先刻見た時よりも子供子供した苦痛の表情に充ちてゐた。
自分逹は室内の掃除に取りかからうとする給仕を後にして食堂へ這入つた。食堂はまだだいぶ込んでゐた。出たり這入つたりするものが絶えず狹い通り路をざわつかせた。自分が母に紅茶と果物を勸めてゐる時分に、兄と嫂の姿がやうやく入口に現れた。不幸にして彼らの席は自分逹の傍に見出せるほど、食卓は空いてゐなかつた。彼らは入口の所に差し向いで座を占めた。さうして普通の夫婦のやうに笑ひながら話したり、窓の外を眺めたりした。自分を相手に茶を啜つてゐた母は、時々その樣子を滿足らしく見た。
引き移つた當日、階下から茶の案内があつたので、降りて行つて見ると、家族は誰もゐない。北向の小さい食堂に、自分は主婦とたつた二人差向ひに坐つた。
風呂場は氷でかちかち光つてゐる。水道は凍り着いて、栓が利かない。やうやくの事で温水摩擦を濟まして、茶の間で紅茶を茶碗に移してゐると、二つになる男の子が例の通り泣き出した。この子は一昨日も一日泣いてゐた。昨日も泣き續けに泣いた。妻にどうかしたのかと聞くと、どうもしたのぢゃない、寒いからだと云う。仕方がない。なるほど泣き方がぐづぐづで痛くも苦しくもないやうである。けれども泣くくらゐだから、どこか不安な所があるのだらう。聞いてゐると、しまひにはこつちが不安になつて來る。時によると小惡らしくなる。大きな聲で叱りつけたい事もあるが、何しろ、叱るにはあまり小さ過ぎると思つて、つい我慢をする。一昨日も昨日もさうであつたが、今日もまた一日さうなのかと思ふと、朝から心持が好くない。胃が惡いのでこの頃は朝飯を食はぬ掟にしてあるから、紅茶茶碗を持つたまま、書齋へ退いた。
夫から「ベーコン」が一斤に玉子一つ又はベーコン二斤と相場がきまつて居る。其外に燒パン二斤茶一杯、それで御仕舞だ。
約三十分の後彼は食卓に就いた。熱い紅茶を啜りながら燒麺麭に牛酪を付けてゐると、門野と云ふ書生が座敷から新聞を疉んで持って來た。
彼らほど多人數でない、したがつて比較的靜かなほかの客が、まるで舞臺をよそにして、氣樂さうな話ばかりしてゐるお延の一群を折々見た。時間を儉約するため、わざと輕い食事を取つたものたちが、珈琲も飮まずに、そろそろ立ちかける時が來ても、お延の前にはそれからそれへと新らしい皿が運ばれた。彼らは中途で拭布を放り出す譯に行かなかつた。またそんな世話しない眞似をする氣もないらしかつた。芝居を觀に來たといふよりも、芝居場へ遊びに來たといふ態度で、どこまでもゆつくり構へてゐた。
その時二人の頭の上に下つてゐる電燈がぱつと點いた。先刻取次に出た書生がそつと室の中へ入つて來て、音のしないやうにブラインドを卸ろして、また無言のまま出て行つた。瓦斯煖爐の色のだんだん濃くなつて來るのを、最前から注意して見てゐた津田は、默つて書生の後姿を目送した。もう好い加減に話を切り上げて歸らなければならないといふ氣がした。彼は自分の前に置かれた紅茶茶碗の底に冷たく浮いてゐる檸檬の一切を除けるやうにしてその餘りを殘りなく啜つた。さうしてそれを相圖に、自分の持つて來た用事を細君に打ち明けた。用事は固より單簡であつた。けれども細君の諾否だけですぐ決定されべき性質のものではなかつた。彼の自由に使用したいといふ一週間前後の時日を、月のどこへ置いていいか、そこは彼女にもまるで解らなかつた。
お延は手早く包紙を解いて、中から紅茶の罐と、麺麭と牛酪を取り出した。
「おやおやこれ召しやがるの。そんなら時を取りにおやりになればいいのに」
「なにあひつぢゃ分らない。何を買つて來るか知れやしなひ」
やがて好い香のするトーストと濃いけむりを立てるウーロン茶とがお延の手で用意された。
小林は言葉を繼ぐ前に、洋盃を下へ置いて、まづ室内を見渡した。女伴の客のうち、一組の相手は洗指盆の中へ入れた果物を食つた後の手を、袂から出した美くしい手帛で拭ひてゐた。彼の筋向うに席を取つて、先刻から時々自分逹の方を偸むやうにして見る二十五六の方は、珈琲茶碗を手にしながら、男の吹かす煙草の煙を眺めて、しきりに芝居の話をしてゐた。兩方とも彼らより先に來ただけあつて、彼らより先に席を立つ順序に、食事の方の都合も進行してゐるらしく見えた時、小林は云つた。
北鎌倉の喫茶店 珈琲と音楽の店「笛」の紹介。
ルネサンスやバロック時代の西洋音楽の演奏は、昨今ではその歴史的意義や起源を問う研究活動になりつつある。作曲当時の楽器製作技術や演奏技術、舞踏の形式、記譜の方法など多面的に音楽を再検討する。つまり民族音楽としてクラシック音楽を考える活動だ。そしてもちろん音楽は芸術であるから演奏家は演奏表現もないがしろにはしない。いや演奏表現の深みを得るために楽曲の背景を確認するのだと言うべきだろう。ともあれそのような音楽を古楽という。
鎌倉近辺には古楽活動家が多く、楽器工房や教室を開いている。演奏家同士の交流も盛んであり、愛好家人口も多い。彼らの交流の場として、この喫茶店「笛」は成り立っている。客は観光客と地元住民、そして全国から古楽の活動家と愛好家が集まって来ている。
山中にぽつんと建つログハウスは壁一面に各国の楽器が飾られ、スポットライトがぶら下がる。大型のスピーカーやマイクが取り付けられている。近隣の作家の作る版画や絵画が展示販売されてもいる。二階のアトリエにはチェンバロが据え付けられている。ここでは住民達が集まる楽器教室も開かれている。コーヒーなど喫茶メニューは最高のものとは言えないけれども最善である。仕事が丁寧で好感が持てる。掃除も行き届いている。愛想もいい。居心地が良い。
この店では毎月の第3土曜日にコンサートが催される。演者は世界的に活動する音楽家達。彼らはマスターや客の馴染みの顔であり、店の馴染みである。日本に帰って来て、この店に帰って来る。自分たちの楽しみのためにコンサートを引き受ける。30人ほどで満席になってしまう店内で聴く年代物の楽器の音色は贅沢でありながら気取らない。クラヴィコードの音色は間近で響く。ソプラノはぼくらのために歌われる。
珈琲と音楽の店「笛」
247-0062 鎌倉市山ノ内 215 (明月院から 365 歩)
第3土曜コンサートは予約制 3000 - 3500円

※これは94年頃に書いたメモです。初掲載は96年。内容的には古いもので参考にならないかも知れません。
これまで国内でのコーヒーの提供はほとんどの場合において抽出された液体としてのものだった。今世紀初頭に紹介された当時はコーヒーというものを市民は知らず、それを飲むということから学ばなければならなかったのである。抽出などとんでもない、それは特殊な技術であり、そのための施設がどうしても必要とされてきたのだった。こうした事情は先立って普及してきたヨーロッパや、さらにそれ以前のアラビアでも同じことで、コーヒー・ハウスの発生はむしろ自然なことなのである。※
※アメリカではそうではない。コーヒーを知る人々がコーヒーハウスのない土地に進出したのだから。
喫茶業の形態は戦前のいわゆる女給のいるカフェーやミルクホール、ビアホールとの融合、あるいは戦後のジャズ喫茶や名曲喫茶などと様々に多様化し、商業としての目的も分岐されてきた。しかしコーヒーの販売という視点に立って考えるなら、それはなんらの進歩もなく、ただだらだらと拡大され続けてきたに過ぎないものである。客はみなカップに抽てられたコーヒーを店内で飲み、支払いをして帰る。こうした風景は今後もなくなることは考えにくい。
コーヒーを販売するために加工を行う企業、焙煎業者の手法もずっと同じままだった。それはそうに違いない。市場に変化がなければ売れる商品も大きくは変わらない。競争は規模の経済を目指すものに過ぎなくなってしまうのだ。
状況に変化があったとすれば、おそらくその始まりは '70年代のことだろう。それまでも何度となくコーヒー・ブームと呼ばれる時期があった。そのひとつがこの時代にも起きていた。かつては流行のたびごとに市場は新しい需要を飲み込んでしまい、コーヒーの普及という結果をもたらしてきたと考えられる。ブームが去ったと言われても需要がさほど落ちずにすんでいた幸福な時間はあまりにも長過ぎた。
この時の流行はかなり規模の大きなものだった。市民は遊び場に不自由を感じていた。無分別な脱サラが横行していた。彼らをまとめて引き受けたのが当時の喫茶店ブームといううねりであり、一部の成功者を残しながらも、いずれコーヒー高騰を機に破綻を迎えることになるのである。
ひとつの時代を終えて、焙煎業者がここで困難な事態に直面した。喫茶店が山のように作られたときには、投資した製造能力に見合うだけの需要が将来にも見込まれ、莫大な利益を生み出すはずたった。その資産が遊んでしまっては経営の危機ともなりかねないことになってしまうのだ。
焙煎された大量のコーヒー豆の新たな売り先を求めて業者間の競争が喫茶店のブーム時代以上に激化した。なかには利益を生まんがために投機的な原料生豆の売買に手を出して倒産した会社もある。飛行機の国内路線のすべてで機内用コーヒーが提供され、中華料理店にすら営業は飛び込んだ。残った喫茶店を奪い合って他社の看板を夜中に破壊したりもした。缶コーヒーの定着もここで各社製品が出揃い、競争が激しくなったから起きたことだ。
最後の有望なコーヒー市場とされる家庭向けの焙煎豆の販売は実はこのときのコーヒー・ブームの名残りともされる。喫茶店ではじめて抽出を目にし、スーパーでも少しは売られ始めていた焙煎豆を挽いてもらって買ってくる、そんな愛好家がある程度まで育ってきていたのだ。
喫茶店ブームの後期にはコーヒー専門店をうたう店が出来ていた。それは結局のところありふれた喫茶店のひとつのバリエーションに過ぎず、専門店という割にはお粗末なものであり、差別化として不十分なものであったとしか思えない。客の居着いた店はないではないが、いずれは飽きられてしまうか、あるいは炭焼きコーヒーの流行に乗り換えるか、自家焙煎店となるかして消えていくことになる。
自家焙煎店はその名の通り自店でコーヒーの焙煎加工を行う店であり、多くはコーヒー専門店から派生した。形態はやはり店内で抽出まで行ってカップ売りをするコーヒー・ショップが主である。彼らの狙った市場はそれまでの喫茶客のうちでも特にコーヒーを愛好する層であり、普通の喫茶店のコーヒーに不満を抱くグループだった。
既存の焙煎業者は急成長したときにひとつの欠点を生み出していた。組織の効率化と流通の近代化をおきざりにしなければ市場拡大のあまりの早さに追いつけなかったという不幸である。商品が劣化したとしても、かならずしも飲めなくなるというわけではないというコーヒーの特徴もこれに輪をかけた。他の食品産業で見られるように、商品の質を維持しながら大量加工を行うためにはそれなりのシステムが必要となる。これが問題として認識もされずに残っていたのだ。
これら新しい喫茶店の中には有名店と呼ばれる店もある。マニア向けの本を出版したり、弟子を抱えたりする店も数多くある。それらも含めて、たいていの自家焙煎店はコーヒーについて専門知識と呼べるものなど実際に持ち合わせているわけではない。反発をおそれずに表現するが、それはキャリアに附随するものであり、修得するための機会は彼らにはあまりなかった。彼らはただ既存の卸しのコーヒーに異をとなえ、それが支持されたに過ぎなかったのである。原料を生豆として仕入れて消費に合わせたタイミングで加工するだけの基本的な点で成功することが出来たのだ。
新業態の低価格コーヒー店は当初はこれまでにないコーヒー需要を開拓し、自家焙煎店と住み分けるととらえられていた。それはあくまでも大規模加工の業者の商売だからという憶測にすぎないものだった。しかしここに至って自家焙煎店の撤退が相次いでいる。
これまでにないチェーン化と大量消費のため、たとえば DCS は生産即流通のシステム開発を行わざるを得なかった。それは必要にかられての改革ではあるが、自家焙煎店の持つ長所を狙い撃ちすることにもつながってくる。既存店はそれ以上か同等の品質管理を行ったとして、価格面では太刀打ちすることが出来なくなってしまった。ましてや原料の仕入面でも選択の余地が少なく、せいぜいが高級な豆を使ってみるしかない。
自家焙煎店の有望な生き残りは今は家庭消費を目標に定めている。スケールを増すことにより後発ながらも大手の仲間に加わらなくてはじりじりと貧することは目に見えている。今では誰でもコーヒーは知っているし、抽出に関して教育すれば立派な消費家になってくれることだろうから。創世期とは状況が異なってきているのである。
DCS もますます多店化するとともに家庭向け焙煎豆販売を強化しつつある。店鋪の物販コーナーは不足する面があるものの、それでも月に1,000キロを売るケースが出てきている。彼らもまた同じところを目指しているのだ。
販売するための手法は多様になっているようだ。インターネット利用による通信販売の試みやオーダー・ツー・ローストによる対応、低価格化、限定された商品などと。そしてまたファッションとしてのコーヒー販売、雑貨屋の率いるスターバックス・コーヒー、化粧品との抱きあわせ販売。それらの未来がどうなるかは分からない。ただ思うところは、日本にコーヒーが定着するまでに100年かかったのかという、それだけのことである。
エスプレッソが流行している。それも急速に。
ドトールはかつてイタリアのバールを参考に業態開発を行った経緯がある。当時 (1980年) はまだ喫茶店の減少が始まった頃であり、エスプレッソも立ち飲みもなじみのあるものではなかった。そのため同様のショップをドリップコーヒーで確立する必要があったのだ。喫茶業全体の傾向がファミリーレストランの増加やカフェバーなどの形に移行しつつあった時代である。しばらくしてドイツのチボーが吉祥寺にバール出店を試みたとき、世間は吉祥寺コーヒー戦争と評してドトールの勝利を驚きの目で見守った。プロント、ベローチェの参入はこれを機会に始まった。
そのドトールが近年、エスプレッソを再評価してメニューに組み込んだ。アメリカでのグルメコーヒー・ブームに触発されて、近く日本上陸の日が来ることを予見して打ったすばやい一手である。そして予想通りのスターバックスの進出。さらにはロイヤル、マクドナルド、セガフレードの相次ぐ攻勢。個人経営のバールもちらほら目立ちはじめ、これから世の中はエスプレッソまみれになるらしい。さら最近には珈琲館の新型店舗も生まれたし、ドトールもエスプレッソの特化した新エクセシオール・カフェを開発するに至った。
これが現在までの物語のあらまし。もっともエスプレッソの飲み方を知らないこの国でどれだけの成績を収めることができるものか。流行の過ぎた後にはメニュー戦略に優れたショップ、品質に優れたショップが残るだろうが、今のところ勝ち組に入ることが確実なチェーンは見当たらない。ましてやイメージだけの店は10年保てるものではない。
エスプレッソの勢いに触発されてドリップも売れているようだ。これは輸入マシンの販路が整備されたことが原因だ。サエコ、ガジアなど有名エスプレッソマシン・メーカーはドリップもこなせる汎用機のラインも持っている。WMF も日本法人を設立した。これら設備を容易に調達できるようになったことが新規のコーヒーショップ事業参入を促してきている。
最近の都市部でのカフェ流行熱はたいしたものだと思う。まるで70年代の喫茶店ブームを取り戻すほどの勢いがある。
喫茶業というのはおそらく普通の飲食業とは次元が違う。食べて飲むだけの牛丼屋のような飲食店ではあり得ないし、アミューズメント的なテーマ・レストランともまるで違う。実際のところはいろいろあるんだろうが、最近人気のカフェはライフスタイル産業と思うのだ。すなわち単なる飲食経験や娯楽ではない、生活に取り込まれることを意図的に演出した業態なのである。
普段よりすこしばかり清潔で豊かでおしゃれな時間を有意義と感じる消費者意識がそこにある。店員が生き生きと働いている、裕福そうな客が新聞でも読みながらコーヒーをすする。それを見ていいなあと思うのは、主にさびしい庶民だろう。どうすれば自分も同じように、今よりすこしばかり幸せな時間を過ごせるだろうと欲求する。その答えははっきりとしているのだ。わずか数百円を支払えば、自分もまた幸せな店に客として参加が認められるのである。ちょっとした非日常性、敷井の低い手の届く格好良さ。すぐにでも手に入る幸福こそが魅力的なのである。
かつてゴージャスな内装のコーヒー専門店が流行したことがある。松樹新平氏のデザインの店内に1000円近くもするコーヒー、うやうやしい店員。それらはすでに廃れたスタイルだが、根本において最近のカフェと似たようなものだった。ただ安いコーヒー価格が標準となり、手の届くスタイルではなくなってしまったということだ。
かくして時代はカフェ・ラ・ミルからアフタヌーンティーに移ったのである。このようなビジネス手法はアパレルと共通するものだ。今後もしばらくこの傾向が続くだろう。
ところで日本のコーヒーというのは、世界的に見てどれくらいのレベルなんだろうと聞かれることがある。焙煎や粉砕や包装の加工技術は間違いなく標準的なレベルにある。なぜなら、それらに使われる装置はイタリア製やドイツ製そしてアメリカ製。世界中で同じプラント設備が使われているのだから、この分野では差は生まれない。
抽出はどうかと言えば、かなり早い段階からメリタの模倣であるカリタががんばってきたおかげもあって、独特なドリップ文化のようなものがある。欧米とは違ってペーパードリップ以前の方法があまり知られていなかったのだから、その普及は素早かったと思う。マシンによる抽出もそろそろキャッチアップしてきているようだ。ただ戦後日本のコーヒーはアメリカのコーヒーの真似でしかなかった。アメリカが薄くすれば薄いのが流行る。アメリカでエスプレッソが売れればさっそく取り入れる。日本コーヒー100年の歴史と言っても、実際のところはその半分でしかなく、本物の堅牢な文化に昇華しきれないつまらなさを感じざるを得ない。
さて焙煎、抽出は結構なものであるとして、コーヒーの味を決める最大の要因である生豆品質はどうなのか。日本に輸入される生豆は最上のものであると業者はよく主張する。これは難しいところで、正しくもあるし、根本的に間違ってもいる。最上等の生豆というのはヨーロッパの一部のロースターが買い占めているのだ。いや買い占めると言うと語弊がある。彼らは他の消費国の業者より多くの対価を支払って、契約農家をキープしているのだ。日本や米国が良質の生豆を取り合っているとしても、それは標準品として出回る生豆のうちでましなものを買っているにすぎないのだから、品質には格差が生まれる。
ついでに書いてしまう。残り物を買う日本の中でも序列がある。良質なものを真っ先に選ぶ権利があるのは大手の焙煎業者だ。コンテナごと先物で契約するロースターが取った残りを中堅が買う。だから零細な自家焙煎店には歯牙にもかからぬ余りがあてがわれる仕組みとなってしまっている。雑誌の珈琲店記事を鵜呑にしているマニアには申し訳ないが、これは店主の多少の努力くらいではどうにもならない致し方ないことなのだ。自家焙煎店よりもずっとましな豆を大手ロースターが確保しているのが本当のところだ。マニアはともかくとして、普通の消費者は朝食の席で飲むコーヒーを価格で選ぶ。経費の高い零細店が品質にこだわり過ぎると、とても売れる価格で作ることなど出来はしないわけだ。